2012年3月17日土曜日

目標設定シートをキャリアアップに活かす



 「すみませんが、これ(目標設定シート)を作って実行しても、給料が上がらなければ意味がありません」。これは、2年前に目標設定面接で、あるスタッフから言われた言葉です。その時私は、内心で(もちろん、がっかりはしましたが)「この人が、こういうのも無理はない」と思いました。

 何故なら、その人には家族がいて、到底今の収入では生活を維持できない、ということが明らかだったからです。その人が最も価値を置いているのは、「収入の多寡」でした。結局その人は、在職中にいい仕事をして仲間に惜しまれながら、転職をしていきました。新しい職場は、今よりも高い収入が得られ、しかも通勤時間が短くなります。「いいところが見つかって、良かったですね」と言った時の、その人のホッとした表情が、今でも忘れられません。もう一つ忘れられないのが、「他に不満はないんです」という言葉でした。その人は、現実検討能力が優れていて、世の中を知らずにないものねだりをして勝手に失望する、というタイプではありません。この職場の「強み」も「弱み」も知った上で、「収入以外の不満はないんです」と言いました。その一言に救われた半面、個人のスキルや頑張りが結果的に上層部からの評価につながらない体制を、つくづく残念に思いました。それは、現場の責任者である私の一次評価に対する上層部の信ぴょう性が低い(つまり、「あなたの評価は、甘い」)ということでもあったのですが。







 ところで、目標設定シートは本当に個人にとって「意味がない」のでしょうか。私は、コーチングを個人面接に取り入れるようになってから、このシートは個人のキャリアアップに活かすことができる、と実感するようになりました。





 <個人にとっての目標設定シートの意味>



 面接は、目標設定シートを軸として進めます。自分の設定した目標の妥当性や部分修正が必要かどうか、進捗状況はどうなっているか。年間56回はそれぞれのスタッフが、面接の場で自分の目標までの到達度を確認しています(中には、面接の場で初めてシートを見返して、内容を思い出している人もいますが)。

 面接では、「個人目標の1番目については、○○○を続けて****割はできましたので、必達水準はクリアした、と思いますが、目標水準には今一歩届いていません」といった内容のプレゼンテーションをしてもらっています。当たり前のことのようですが、自分で立てた目標に責任を持ち、常に意識をして行動を起こしている人ほど成長のスピードは速くなります。たとえ、給与が上がる評価にはつながらなくとも(その古い組織体質の問題点はこの場では触れませんが)、このシートを軸にして行動を起こすことが、自分自身のキャリアアップにつながる、ということをスタッフは理解してきたように思います。面接を通じて、自分のキャリアプランを考え、現実とのギャップを確認し、準備を整え、歩き出す。

 もちろん、面接やシートの位置づけには個人差がありますから、「活かし方」も人それぞれです。現状をゴールとしている人にはあまり機能しないかもしれません。ですが、現状で満足していては、



「本人が望むなら、一生この仕事で食べていってもらいたい」という私の目的が果たせませんので、あくまでも本人のレベルに合わせることを前提に、このアプローチを続けていくつもりです。



 

 リハビリテーションの関連職種は、転職が多いことで知られています。転職の理由には、これまでのキャリア志向、家庭の事情、職場への不適応、に加えて、職場の経営が傾いた、リストラにあった、という事情も散見するようになりました。若い有資格者がどんどん増えていく中で、現場で働くスタッフは多かれ少なかれ自分の将来に不安を感じています。

 一方、転職をせずに安定した職場で勤続すればいいのかと言えば、同じ職場で長く勤めた人からは異口同音に「いまさら、他の職場には怖くて行けない」という言葉が聞かれます。当然のことながら年齢が上がるほど新しい環境に入って行くリスクは高まりますし、残念ながら同じ職場で終身雇用される人は、ごく一部の限られた人です。この現実から目をそらさずに、いつでもどこでも自分を活かせる状態にしておくことは、自分自身への責任、と言えば言い過ぎでしょうか。でもこれは、私が(有資格者が少ないために)「金の卵」と言われた時代からこの仕事をしてきて、様々な理由で転職をしてきたからこそ、言えることだと思っています。





 「給料が上がらなければ、目標設定シートは意味がない」。今なら、「あなた自身で、将来を改善できる力をつけるためのシートです」と言えます。



 グループ内の他院から転勤してきたスタッフによれば、目標設定シートを書いたことがそもそもほとんどなかった、とのこと。転勤からわずか2カ月。今回の振り返り面接で、彼が自分の設定した目標を意識して、日々行動をしていることが分かりました。この先の成長を楽しみにしています。

 

2012年2月26日日曜日

緊急時の判断とコミュニケーションスキル


 
 
 先日、とある会合で救命救急士のリーダーとお話をしました。救命救急士と言えば、一刻を争う傷病者に手当をしてERemergency room)まで搬送する緊急時対応の専門家。高いスキルと冷静な判断力、何よりもチームワークが必要です。現場で求められるスキルや、どんなふうに若手を指導・育成しているのか、について伺いました。


―どういう人がこの道を目指しますか?

A:色々です。人助けをしたい、という人から、TVで活躍しているのを見て「かっこいい」と思った人まで、動機は様々ですね。でも、実際はそんなにかっこいいものではありません。時には、傷病者から罵倒されることも。酔っ払い、とかね。ですからせっかく資格を取って職に就いても、辞めてしまう人がいるんですよ。思っていた仕事とは違う、と言ってね。


―ご苦労が多いお仕事だと思いますが。

A:傷病者への手当てもそうですし、受け入れ病院を捜すのがとにかく大変です。時間との戦いですから。これは傷病者の状態にもよりますが、救急隊と病院との信頼関係が大きく影響します。普段からきちんとコミュニケーションが取れているかどうか、ですね。正確な情報を伝えないで搬送してしまうと、その後病院から信用されなくなる、ということもありますから。結果的に人命に関わることですから、コミュニケーションスキルはとても大切です。

―コミュニケーションスキルを上げるには、どのように指導していますか。

A:きちんとした報告・連絡・相談ですね。自分の思いこみだけでは相手に伝わらない、と指導します。そこで信用を落とせばチームワークを乱し、受け入れ病院を失うことにもつながる。しかし、若手の中には「親にも怒られたことがなかった。初めて怒られました」という人もいますから、自分達が鍛えられた時のようにはいきません。注意した後は一呼吸置いて必ずフォローをするよう、主任達には伝えてあります。難しいですね。

―今企業では、部下の特性に合わせた指導・育成が生産性を上げる、と言われています。救急隊での指導は、どのようにしているのでしょうか。

A:個人の特性に合わせる、というよりは現場から学ぶことが多いので、経験を積み、先輩から学び、事例を振り返ることでスキルを上げていきます。ただ、救命救急士の定年退職などによる入れ替わりは1割以上なので、育成が大変です。


―個人差もあるでしょうが、何年くらいで一人前と言われるレベルになりますか。

A:これは、本当に個人差が大きい。入った情報を元に救急車の中でてきぱきと先取りをして準備をする者から、指示を待って動く者まで様々です。見込みのある者は1年で使いものになる。ならない者は何年たってもならない。使えるやつには、次々と仕事を任せられる。最初は非正規職員で採用しますが、見込みのあるやつには正職員というポストを与えます。彼(と、少し離れた所にいる若者を見ながら)なんかは、うちのホープとして期待しているんですけどね。



 リーダーの話の内容は、私がこれまで抱いていた救命救急士のイメージを裏付けるものでした。時間との戦いの中で、人命救助のためにベストを尽くす。個ではなくチームとして動く。救命救急のスキルが人命に直結する、など。


 意外だったのは、コミュニケーションスキルの重要性です。この場合、情報を正確に伝達することは言うまでもないことですが、そこには予想以上の個人差があり、結果的に受け入れ病院との信頼関係にも影響を及ぼしていることが分かりました。裏話として、同じ救急隊でも問い合わせる隊員によって先方の病院の受け入れ態度が変わることもあるのだそうです。「あの隊員の情報なら、信頼ができる(あるいは、できない)」という判断をされるとのこと。伝えるべき基本的な内容にそれほどの差がある、とは思えません。ただ伝え方によって情報への信頼感が変わり、その後の受け入れにまで影響を与えている、という内容は大変興味深いものでした。緊急時であるほど、それまでの信頼関係が瞬時の判断を左右する、ということはどの現場にも共通するものです。人命を左右するコミュニケーションスキル。医療安全に及ぼす個人レベルでのコミュニケーションスキルの重要性を改めて知るとともに、その指導・習得が今後の課題であることも伺われました。

 恐らく、指示を先取りし現場へ向かう救急車の中で準備ができる隊員は、受け入れ先を探すスキルも高いのではないか、と思います。救命救急士のゴールは、傷病者を安全に適切な医療機関につなぐことにあります。そこまでのプロセスがインプットされているからこそ事前の準備ができるし、受け入れ先が必要としている情報を適切に伝えることもできるのでしょう。
 
 
 

2012年2月5日日曜日

「自分でリハビリを倹約する」という動機づけ


 


 国民皆保険制度が完備している日本で、「お金がないから、医療が受けられない」という状況はそれほど表面化していない。しかしそのように呑気に構えていられるのは、自分が直接会計のお金を受け取る立場にいないからかもしれない。治療費の未収金は病院の経営上無視できない額で、回収のための専任のスタッフを置いている医療機関がある、とも聞いている。それでも自分の臨床と患者さんの経済力がどのくらい密接につながっているか、ということにそれほど意識を向けてきたわけではない。
 経済的に困窮している人には活用できる社会資源を紹介し、必要に応じてメディカルソーシャルワーカーに対応を依頼した。そうして臨床を継続してきた。患者さんが機能を回復し生活を取り戻す上で経済力は最重要な課題だが、そこを直接取り上げることは難しかった。しかし、そうは言っていられない事態が現実のものとなっている。

 超急性期病院から紹介状を持ってやってきたSさんは、糖尿病に脳血管障害を併発していた。歩行には支障のない状態で「右手が不自由だから、ここで治してもらいたい」との要望だった。私は最初に「リハビリテーション(以下:リハビリ)は治してもらうところではありません。Sさんが良くなるようお手伝いをするところです」と説明をした。初回の評価を終え外来リハビリのスケジュールを設定する段になって、突然Sさんが「お金がないんです」と言った。自分にはほとんど収入がなく毎回治療費を子どもからもらってきている、とのことだった。他にも何カ所か通院している病院があるのでお金がかかってしょうがない、と訴えた。正直にいえば、こちらも困惑した。どう対応していいのか分からなかった。とにかくその日は家でお子さんと相談をしていただくことにして、予約のことは連絡待ち、という対応をとらせてもらった。
 幸い翌朝Sさんから連絡が入ったことで、リハビリの継続をお子さんも了解したことが分かったが、実際の訓練場面でSさんはまたしても「お金がないんです」と訴えた。

 話していて分かったことは、Sさんは生活保護を受給する程度ではないが、自分の自由になるお金が乏しく毎回子どもから治療費を受け取っている。高額医療費負担の対象になるほどではないが、その費用はお子さんにとっても負担の大きなもので、親子関係にも大きく影響をしているらしい。リハビリに限っていえば、「1か月にいくらかかるのか」が分からなければ次の予約も取れない、ということだった。この返答に概算は許されない。医事課に確認を取り、具体的な自己負担額をお知らせした。改めて1か月分の費用を計算すれば、リハビリ通院は結構な金額になる。このお金を毎回子どもから受け取って通院する人がいる、ということに意識が向いていない、とはうかつだった。
 Sさんだったら、生活防衛のためにスーパーの広告を見比べて必要な品物が5円でも3円でも、もしかしたら1円でも安かったら、たとえ30分遠くまで足を延ばしてでもそちらを選ぶだろう。その切実さの上にリハビリの通院があることを考える必要があった。

 Sさんの状況をコーチングの基本プロセスであるGROWモデルでイメージしてみると、
Goal(目標を明確にする):右手が治る⇒右手で箸が使え、字が書けるようになる
Reality(現状を把握する):自分には自由になるお金がない
Resource(資源を発見する):歩くことは不自由ない、子どもの援助がある
Option(選択肢や方法を考える):どうすれば子どもにかかる負担を軽くできるか⇒リハビリを少ない回数で早く卒業する
Will(意志を確認する):自分でできることは自分でする

 そこで私は、GROWモデルをベースにSさんにこんな提案をした。「Sさんには、自分で練習できることが沢山あります。ここで覚えたことをお家で繰り返し練習して右手が良くなれば、ここへ通う回数も減らせます。その分リハビリの費用が浮きますから『倹約』になりますよ」。聞いているSさんの表情が変化した。「倹約」という言葉が機能したようだ。

 倹約には「むだを省いて出費をできるだけ少なくする」という意味がある。リハビリの通院を「むだ」とは思わないが、自宅でできることまで病院でする必要はない。ましてSさんは「誰かに治してもらいたい」という気持ちで来院しているのだから、自立を促す意味でも主体的に自分の課題に取り組んでもらう必要があった。Sさんにとって具体的に支出を減らせる提案は、現実的で有効だったようだ。
 ただ、このアプローチには機能する人としない人がいることを知っておかなければならない。ゴールと現実のギャップが大きすぎてどうしても埋めることができない場合もある。その場合はゴールの調整や、使えるリソースを総動員する必要がある。結果が伴わないこと=ご本人の責任、と短絡的に結論づけないことが肝要だ。

 それはともかくとして、私が提案をしている途中からSさんの座り方が前傾姿勢に変わり、少し多めの宿題もしっかりバックに入れて帰って行った。「お金がない」という言葉はもう聞かれなかった。


 「自分でリハビリを倹約する」という動機づけは高齢者にとって、抽象的な「自立への促し」や「放置しておくと、硬くなりますよ」という脅し(?)よりも有効だと思う。努力の結果が数値(しかも、金銭)として表れれば、それは頑張った自分への明確な「ご褒美」になるからだ。「あなたが自主トレをした分で、○○円のリハビリ費用が倹約できましたね」という会話ができたら楽しくなりそうだ。同業者には怒られるだろうか。


2012年1月15日日曜日

「とんでもない会話」の背景は?


 


かなり前のことですが、セラピストと患者さんのこんな会話が耳に入ってきました。


セラピスト「今の若い人は、高い税金を取られて、年金だって払った分もらえない。人間、50歳くらいで死ねるのが一番いいよね」。
患者「・・・・・・」(何と応答したのか、しなかったのか、聞こえませんでしたが)。

 セラピストは30代。患者さんは70代です。何故そんな会話に行きついたのか、前後の文脈は分かりません。けれども、当の患者さんや周囲にいる人たちに、どれだけこの言葉がダメージを与えたのか、を考えると憤りを覚えました(当然、厳重に注意をしましたが)。

 話した本人は、最初注意された意味が分からなかったようです。気心の知れた患者と雑談のついでに「本音」を語った、といった風で、注意されたことに対してそれほどピンときているようには見えませんでした。不真面目に仕事をしているわけでもありません。むしろ、よく機転が利いてチームへの貢献もできる人です。



 一瞬の出来事でしたが、今でも時々思い出します。そこには、いくつかの課題がありました。


*患者とセラピストの距離の問題:

同じ患者と長く関わることによって、セラピストは適切な距離を維持することが困難になり、つい素顔(本音)が出てしまう。それがメリットになることもありますが、この場合はデメリットになっています。気を許しすぎて立場を忘れ、言ってはいけないことを言っていることにも気付いていない。

 このような2者関係は、長期的な関わりの中で起こりがち。今後、介護保険分野でリハビリテーションの人的資源が潤沢になり、期限にも縛られず、他者の目も届かない状況下(在宅療法など)では、ますます2者間の距離を維持するためのスキルが必要になる、と予想しています。


*周囲への影響:

周囲とはたとえば、常連客が指定席に座り店主を独占しているお店に入った一見客、のような存在。この一見客の疎外感を、店主は意識しているのかいないのか。なじみのうすい患者は、同じ時間と空間で、セラピストの対応が微妙に違うことを敏感に察知していますが、セラピストは案外意識していない。

質の高いホスピタリティとは、クライアントに対して差別観や疎外感を与えないこと。これを実現させるには、ハード・ソフト両面での様々な条件を整える必要があります。すでに接遇マナーをはじめとする取り組みはされていますが、それだけでは十分ではないことを、改めて知る機会となりました。


*リーダーとしての気づき:

#1.彼らが今置かれているこの閉塞感に満ちた状況に、どれほどストレスを感じているか、は日々耳に入っていました。が、この様子では、臨床の場で本人も気がつかずに発散をしている可能性があります。「理想」と「現実」には当然ギャップがあります(理想と現実は「建て前」と「本音」とも言える)。本人が、自分の無意識の感情をキャッチしていないこともありますので、リーダーがこのギャップを知り、フィードバックをすることが必要です。

 #2.一方で、セラピストのストレスレベルとコントロール能力は、どのくらいあるのでしょうか。思ってもいない言葉が口から出たり、言ってはいけない、と分かっていても抑えきれないこともあります。このような時、本人には、プライベートな問題があるのかもしれないし、職場への不満があるのかもしれない。そもそも、仕事に対する価値観が違うのかもしれない。将来への不安がそうさせるのかもしれない。どれもが当てはまるような気もします。様々な仮説を立て、時を変え、場面を変えて検証をする。少なくともそうしている間は、短絡的な評価を下さずにすみます(かなりエネルギーの要ることですが)。



 *あれから:
 
 
 あの時は厳重注意をしましたが、それだけでは根本的に何も変わりません。注意するだけで改善するような、ケアレスミスではないからです。詳しいことは省略しますが、その後、セラピストに伝わった、と感じられたのは「共感」と「承認」から出た言葉でした(それができたのは、しばらくたってからですが)。

 
 
 

  今でも、あの時にセラピストの口から出たのは、単なる個人的な本音ではない、と思っています。同世代の人たちが、多かれ少なかれ抱いている気持ちを率直に口にしたのでしょう。とはいえ、井戸端会議で好きなことをしゃべってストレスを発散するのと、この場合ではわけが違います。対人援助を旨とする専門職としても、職場の理念からも、そのような言動を許容することはできませんから、同じような場面に遭遇した時は、指導をしていきます。

ただ、誤解を恐れずに言えば、「思ってはいけない」のではなく、自分の本音に対して自覚的であることが、セルフコントロールには大切です。これは、口で言うほど簡単なことではありませんが。さらに、表出する時と場を心得ることが「社会人としてのファウンデーション(土台)」です。簡単に身につけることはできないにしても。


様々な経験の中で醸成されていく価値観や、死生観があります。5年先、10年先に、冒頭のセラピストが患者さんとどんな会話をしているのだろう、と楽しみにしています。
 


2012年1月9日月曜日

「限界を知る・価値観が変わる」




前回のブログの更新から3週間が過ぎました。月ばかりか年まで越してしまっています。それまでは、次から次へと書きたいことがあふれ出ていたのに、パッタリ、うそのように頭の中が白紙になり、(これはスランプ?)書く代わりに、いくらでも眠れました。自分の記憶の中でもこんなに眠ったことはないほど。年末年始は体の要求に逆らわずに、眠ることを最優先にしました。「これは、頑張りすぎた疲れかもしれない」と、少し自分を労わりながら。





 昨年は、コーチングの有効性を知ってもらいたい、と非力ながらも自分にできる範囲の活動をしました。こんなに眠いのは、使い果たしたエネルギーを充電するためのものかもしれない、そう思いました。でも、実はどこかで「限界」を感じ始めてもいたのです。





 本当は、どなたが読んで下さるのか分からないブログに、コーチング絡みで「限界」などという言葉を書きたくないのですが。





 日常の業務や生活の中にストレスがあるのは当然のことですが、改めてそれ以外のどんなことに自分がこれほどの影響を受けていたのかを、振り返ってみます。




*今や特別のことではなくなった電車の人身事故の向こうには、年間3万人以上の自殺者がいます(もちろん、電車だけではありませんが)。この状況が10年以上も続いているのは、周知の事実。その数は毎年毎年、昨年の大震災の犠牲者を上回っています。この事実に気づかされ、予備軍や未遂者が既遂者の何倍いるのか、またその周囲に家族や知人がどれだけいるのか、を想像しました。私がどんなに想像力を働かせても、把握できるはずもないのですが。

自殺のリスクには、失業のほか配置転換、過労、昇進、破産、人間関係、その他実に様々なものがあります。そう考えると、人に向かって状況を知りもせずに「あなたの目標は?」などとは聞けなくなりますし、聞いてはいけないような気がしてきます。元々私にはエッジの効いた質問はできないのですが、これからはますますそうなりそうです。




*被災地で働く看護師の3分の1にPTSDが懸念される状態が、また3分の2に「うつ」につながりかねない「精神的不健康度」の高い人がいる(’11,12,30 朝日新聞)。

それでなくともバーンアウトに陥るリスクの高い看護師が、被災地では殆ど余力のない状態で、臨床に携わっているらしい。この傾向は長期化が予想されますし、今後ますます顕在化するでしょう。「ケアをする人のためのケア」が必要ですが、ここにコーチングを活用する場合には、コーチにコーチングフローの「ステップ0に居続ける能力」が求められます。また、それは他の(例えば、カウンセリングや緩和ケアにおける)手法と極めて似ているために、「これは(も)コーチング」と説明できるだけの根拠を必要としますが、自分の中ではまだ、説得力のある説明が難しい。


Twitterの書き込みには、「被災地の人は、みんな頑張って明るく振舞っている。けれども、疲れ果てている」とありました。当地に深く関わればこそ見えてくる事実なのでしょう。

明るく元気に振舞っているからといって、その人が本当に力のある状態、とは限りません。活力のあるように見える人が、突然駅のホームから身を投げることもあります。人は自分の全てを他者の前で表現しているわけではないからです。元気印のハイテンション(躁状態)とうつは、表裏一体。とすれば、「行動を促進しなければ」と意欲的に見えるクライアントの真の力量をアセスメントすることも、コーチには求められるのではないだろうか。クライアントの「心が折れる」前に。







いずれも、今の自分に直接関わりのある情報ではないのですが、時代の空気として少しずつ体の中に浸透してきますし、たぶんボディーブローのように効いてきているのでしょう。コーチングの実践と絡めて考えていますが、結果的に自分のエネルギーレベルは、低下しているような気がしますし、睡眠過多もその影響が大きい、と思っています。



もっとも、「時代の空気」から影響を受けているのは、私だけではないでしょう。私と関わっている人たちにしても、こちらから見えているのは氷山の一角ですが、水面下ではメンタリティやストレス耐性が低下しているかもしれない。何となくチームや組織全体のパフォーマンスが低下しているように感じられる時には、現場以外の様々な背景を考慮する必要がありますが、その中には直接的・間接的な「時代の空気」も含まれているでしょう。そのことを度外視して、現場の個人だけをコーチングの対象にしていても、事は運ばない。





ところで先日、ある方から、目が覚めるようなこんな言葉をいただきました。「機能維持は、廃用症候群からの回復です」。これは、障碍者の機能や生活を維持することが軽んじられている風潮に対して発せられたものです。この言葉は、何かを維持することの困難さと、「右肩上がりだけに、価値があるのではない」ことを教えてくれました。また、この視点は、臨床だけではなく職場の「目標管理」にも通じるものです。いただいた言葉に後押しされて、私の価値観は、ずいぶん変わりました。





コーチングは人材開発や育成に有効だと言われます。私の経験でも、コーチングが効果的に機能するクライアントがいることは、実感できました。予定よりも短期間に、予想よりも高い目標に到達してくれた時には、コーチ役の私まで嬉しくなります。元々力のあるクライアントだったのでしょう。

一方、それほどの余力もなく、未来を見ることもあまりしていない人たちが、10歩先ではなく、3歩先でもなく、未来に漠然とした不安を持ちながら、足元だけを眺めて歩いています(そのように、見えます)。このような人にどんなアプローチができるのか。あるいは、できないのか。今の私には答えが見つかりませんが、避けて通るわけにもいかないような気がしています。


色々なことがありましたが、以上のようなプロセスを経て、私は今年の課題を「ストレスコントロール」と「ブラッシュアップ」にしました。





このブログを書く気になったところで一段、ここまで書いてきたことでもう一段、エネルギーレベルが上がりました。今年の年末に、今日のブログをどんな状況で読み返すのか、が楽しみでもあり、ほどよい緊張もしています。




それでは、今日はこの辺で。





 

2011年12月17日土曜日

「コーチングの副作用」について


 コーチングには、薬やメスのような副作用がない、というのが定説です。コーチングの定義は「クライアントの行動を促進するコミュニケーションスキル」ですから、まさか副作用が伴う、とは思えません(でした)。これは私の勉強不足かもしれませんが、今まで手に取った書物にも、「副作用」や「失敗」を正面から取り上げたものはあまりなかった、と記憶しています。あったとしても、それは実施するもののスキルの未熟さゆえ、という取り扱い方です。つまりコーチが熟練しさえすれば克服できる類のもの、ということでした。



 最近私は、コーチング的な関わりをしているスタッフに危ういものを感じる、という経験をしました。それを副作用、と呼べばいいのか、アプローチのミス、と考えればいいのか、思案中です。今回は、そのことについてまとめてみます。





 Aさんは育児の真っ最中ですが、とにかく仕事が大好きで、いつも全力疾走で病院中を駆け回っています。部署内の課題に対しても積極的な提案をしてくれますし、仕事も速い。もちろん、人間関係にもそつがなく、リーダーから見れば、とても頼もしくて「できる人」。最近は、ますます行動に加速度がついて、私の期待値をいつも上回るという、パフォーマンスの高さです。しかも、家庭との両立も完璧(に見える)で、非の打ちどころがありません。でも、そんなAさんに、私はいつしか不安を覚えるようになりました。



 彼女に目標を立てるよう求めたのは私ですし、行動を促進するよう働きかけたのも私です。Aさんは、もともと上昇志向の高い人でしたが、家庭がありましたのでワークアンドライフバランスを保つために、幾分仕事のペースを落としているように感じられました。そこで、「あなたの実力は、そんなものではないでしょう」とばかりに、前を、上を見るよう勧めてしまったのです。結果的に、彼女は期待以上の働きをするようになりましたが、気がつくとまるでブレーキの効かない車のような走り方をしていました。このままでは、どこかに激突して大破してしまいそうです。



 そこで、「時々力を抜いてみたら」といったニュアンスの言葉をかけてみました。すると、彼女はものの見事に私の意図を見抜き、「お気づかいありがとうございます。それでは、少しペースを落とさせていただきます」と応答してきました。どうやら彼女は、走り続けてはいるものの、自分でもコントロールのできない状況に疲弊していたようです。いえ、あるいは、私がコーチングをしているつもりで、彼女を煽っていたのかもしれません。決して、「こうしろ」「ああしろ」と指示したわけではありませんが、ノンバーバルなコミュニケーションを通じて、私が無意識に発したメッセージは、予想以上に強力だったようです。とにかくAさんは、私の「力を抜いたら」という一言にホッとしていました。



 職場のリーダーとして、自分の期待に応えてくれるスタッフの存在はとても嬉しく、有難いものです。だからこそ、陥ってはいけない落とし穴もあることを、知らされました。



タイトルの「コーチングの副作用」は、服薬管理と同じように「用い方を誤ると思わぬ副作用を引き起こす」という今回の経験を踏まえて、つけたものです。まだまだ使い方のさじ加減も知らない初心者だ、と反省しました。「無害」と思っていたコーチングの、思わぬ一面を知ったような気がしています。