2012年4月30日月曜日

聖域なき仕事(作業療法)と identity crisis


 

 最近参加したセミナーで、「自分の仕事を中学生にも分かるように、1分間で話す」という課題に取り組みました。そこには歯科医師や営業担当を始め色々な職種の人たちがいましたが、その中で「作業療法(OT)」を伝えることの難しさと、伝わらないもどかしさを実感しました。





 その理由を挙げてみますと、


1、OTの対象や内容・手段が広範囲なため、聞き手に対して一言で説明することが難しい。
2、聞き手にはOTに対する情報がないため、イメージが浸透していない。
3、聖域がないので、特徴を表わしにくい。





 言うまでもないことですが、少し説明をしますと、


1、OTの対象や内容・手段が広範囲なため、聞き手に対して一言で説明することが難しい


クライアントの年齢:新生児から高齢者まで。
分野:身体障害、精神障害、発達障害、老年期障害、etc
対象疾患:内科、脳神経外科、整形外科、精神科、神経内科、etc
病期:急性期~終末期
手段:セラピーの原動力として作業を用いる(一例)


中でも最後の「作業」の説明が一番難しい。



2、聞き手にはOTに対する情報がないため、イメージが浸透していない


 自分自身や身内の人にリハビリテーション(以下:リハビリ)を受けた、という経験がなければ、今でも「リハビリ・・・・あっ、そうですかぁ」と、あまりピンときていないという反応が返ってきます(元気な人たちが多く集まる場所では特にそう)。昔と違い、今や「リハビリ」は立派に市民権を得ている(はず)と思っていたので、この反応には驚きました。これでは、OTを話しても伝わらないのは無理もないことです。

 ささやかなリベンジとして「皆さんが私のところにいらっしゃるのは具合の悪い時ですから、仕事上でお会いしない方が良いのです」と言いましたが、これではOTの肯定的(健康的)な側面が伝わりません(失敗しました。以後、気をつけなければ)。



3、聖域がないので、特徴を表わしにくい


 聖域には「聖人地位または境地」の他に「それに触れてはならないとされている問題領域」という意味があります。私たちの仕事は「名称独占」はできても「業務独占」はできません。つまり、他者から「聖域」と認識されているものがそれほど多くないのです。同じ国家資格ではあっても、医師や看護師を始めとする「聖域」のある職種とはこの点が明らかに違います。「例えば」と前置きして「誰もが当たり前にしていること(トイレに行く、お風呂に入る)を、治療手段にしています」と言っても、恐らく聞き手には伝わらないでしょうし、私たちがしていることの大半は形の上では他職種にもできることなので(と、書くと叱られるかもしれませんが)、その中で「OT」の特徴を短時間に分かりやすく話すことは、大変難しい課題でした。





 ここまで「難しい」を連呼してきましたが、この課題は私だけのものではありません(もちろん、OTだけが特殊なわけでもありません)。むしろ、職域が未分化で聖域が狭い(あるいは、ない)ということは、多くの職種に共通しています。



 国家資格さえ取得すれば聖域(安全地帯)が手に入る、と頑張ってきた新人の中には、それが幻想や錯覚であることに気がついて、深刻なidentity crisisに陥っている人もいるかもしれません。大いに失望している人もいるでしょう。けれども、他者との差別化を図るのは今や資格ではなく、「その人」自身の課題ということになります。「曖昧さの中に居続けるには、能力がいる」と言われますが、その能力があればきっと成長していけます。

 例えば、水面に浮かんだ氷塊がいずれ消えてなくなる流氷なのか、海底にまで届く氷山なのか、初めは分からなくとも、時が流れ季節が変われば次第にはっきりしてくるように。





 お話を元に戻します。

 今回、私が学んだことは、


1、   世の中には、聖域のない仕事の方が圧倒的に多い。

2、  自分の仕事を他者に説明し理解してもらうことはどんな職種でも難しく、
 伝えるためのスキルが必要になる。

3、  必要なのはスキルだけではない。「熱い思い」は必ず伝わる。


です。


 異業種の方の前で自分の仕事を語り、視点を変えることができた、良い経験になりました。

 それでは、この辺で。

2012年4月22日日曜日

スーパーバイザーも悩んでいる


 実習生を指導しているスーパーバイザー(SV)から相談を受けました。「学生は、素直で真面目ですが、指導された課題(宿題)をやってこないことが多く、そのことにあまり後ろめたさを感じていないようです。自分が学生の時はもっと頑張ってきた、と思うのでどう対応したら良いのか、悩んでしまいます」。このような相談は、珍しいことではありません。



 昨年1年間、私は養成校の先生向けのグレードアップ講座で、教育現場の様々なお話を伺いました。中でも「実習地に臨む学生は、さながら戦地に赴く戦士のような悲壮な覚悟と緊張感をもっている」という内容には、とても驚いたものです。実習生がそんな状態でいるとは、考えたこともありませんでした。



 けれども、実習地不足の中でやっと手に入れたこの機会にもし不合格にでもなれば1年を棒に振るかもしれない、というプレッシャーがどれほどのものか、は想像に難くありません。それが何年か前まで同じ実習生だったはずの先輩方に伝わらないのは、どうしたことでしょう。「SVは、自分が学生だった頃のことを忘れている」とは、ある教官のつぶやきですが、とにかくSVから見える学生は、「淡々とできる範囲でマイペースに実習をこなしている、あまり無理をしない存在」なのです。



 もちろん、SVは真剣に指導をしようとしています。特に、「できるだけ学生の主体性を尊重しよう」というスタンスの人ほど、自分の中にある「せめてこのくらいはクリアして欲しい」という思いと学生の態度のギャップに悩んでいるのです。



 ここで少し、両者のギャップについて考えてみましょう。



 最初に学生の立場から。



学生にとって最も身近で現実的なゴールは、「国家試験に合格すること」です。そのためには、学科の単位を取得し、実習に合格し、卒論を仕上げ、無事卒業をしなければなりません。その間に進路を決め、就活もします。中には同時進行が難しいので、国家試験を終えてから就活を始める人も珍しくないそうです。特に実習は最もハードルの高い課題ですから、余裕のない学生にとっての就活は実習を終えてからでなければ始まりません。

ところで、実習の合格ラインはどのあたりに設定されているのでしょうか。養成校によって多少の違いはあるものの、今なら年間理学療法士で10000人、作業療法士なら5000人の有資格者を産出できるハードルの高さ、ということになります。そのために学校では「不合格にならないための、合格最低ライン」を設定していますから、学生は常にそれを意識しているもの、と思われます。



次にSVの立場から。



SVは様々な理由で実習指導を引き受けますが、実習生に求める合格ラインは一般的に養成校が設定しているものより高めで、学生が最終学年であれば「来年同僚として一緒に働くなら、せめてこのくらいは」というレベルを想定しています。ここには、自分が実習で辛くても頑張った経験や、今の自分のレベルが基準となっていることが多いのですが、それをSV自身はあまり意識していません。



「無事に通過することが目標」の学生が、「学生に全力投球をしてもらうことを求める」SVに出会った時、様々な軋轢に何とか耐え抜いた学生なら「歯を食いしばって頑張った」体育会系のド根性をお土産に持ち帰ることになります。自信をつける貴重な経験になるかもしれませんが、恐らく自分がSVになった時には、同じような指導をするでしょう。また、それに耐えられなかった学生は途中棄権せざるを得ません。





こうしてみると、双方のベクトルは最初から合っていない。たぶん、教育制度の矛盾や問題点が実習現場で表面化しているのでしょうが、そこに原因を求めたところで現状をすぐに変えることはできません。ギャップが埋まらないままに、学生は出席日数をクリアし規定のレポートを作成し、ほとんどが実習に合格して卒業し、国家試験に通り、臨床で働くことができます。「今時の学生は、分からない」と言っているばかりでは、遠からず世代間ギャップに苦しむことになるでしょう。



何故複数の先輩から違うことを言われても、学生が「はい」とだけ返事をしているのか、を考えてみました。このような場合、複数の視点を持つというメリットと共に、学生は「臨床には、唯一正しい答えというものがない」ことを知り、「それはおかしい」とか「違うのでは」と言えない立場上、ダブルバインドどころかトリプルバインドに陥っている可能性があります。「あの学生は、元気がない」と言われても、仕方がありません。







実習が始まって2週間も過ぎたころ、実技指導の時間に学生がスタッフとお互いの体をマッサージし合いました。「ずい分しっかりした大腿ね。何かスポーツをしているの?」「はい、小さい頃からサッカーを」。やっと、にっこり笑ってくれました(そうか、やっぱり今まで緊張していたんだ)。





以下は、相談をしてきたSVへの質問です。



1、   「せめてこのくらいは」というゴールを、具体的にイメージして下さい。

2、   そのゴールは、今の学生のスキルで、実習期間中に到達可能ですか。

3、   SVのゴールは、学生のゴールとベクトルが合っていますか。また、学生はそのゴールに同意していますか。

4、   実習期間中のタイムスケジュールは、どのようになりますか。

5、   では、何から始めますか。





 SVは「やってみます」と言いました。実習生へのコーチングは、SVがするでしょう。双方のベクトルが一致することを期待しています。


2012年4月2日月曜日

中間管理職になったセラピストのゆううつ


 
 今年も国家試験の発表が終わり、新人理学療法士が10000人、作業療法士が5000人誕生しました。ハードな授業や実習を乗り越え、国家試験対策に追われながら、ようやく目指すゴールに辿り着いたことになります。きっと全国のあちらこちらで、お互いの健闘をたたえ、祝杯を交わし合っているでしょう。新人を迎え入れる私たちも、大丈夫だろう、とは思いつつ、「合格」の連絡が入るまでは何かと落ち着かない日々を送っていましたので、これでようやく一安心できます。



 ところで、時期を同じくしてSNSで中堅・作業療法士の書き込みを目にしました。ご本人の了解をいただき、内容の一部をご紹介します。




  今年に入って、主任という役割が振られた。
年度末のスタッフ面接に同席することにもなり、
後輩の仕事に対する悩みを数多く聞くようになった。
一部の若手スタッフからは、「今の仕事で楽しいと感じない」
「なんでこの職業に就いたのか・・・」という声が聞かれる。

  私自身も、胸をはって作業療法のここにやりがいを持っている、と話せるほどの内容を提供できているとは思わない。常に悩みながら10年が過ぎた。
何度も辞めよう、と思ったし、今でも他の職業の適性を調べてみたりして、気持ちが作業療法に向き合わない日もある。


  患者さんの人生に関わらせていただく一方で、自分の人生や家族の生活は二の次になり、自己嫌悪に陥ることも。そんな私が、後輩に作業療法という仕事の面白さを伝えモチベーションを上げるなんて、どうしたらいいのか、自信がない。

  最近は、管理業務や会議に押されて、自分の担当患者さんとも
まともに向き合うこともできなくなってきているし、臨床技術も、遅れをとっているようで焦りもある・・・・・・(一部、変更・省略)。




  SNSに紹介されている年齢から考えると、彼女も10年前は合格発表で祝杯をあげた組だったはずです。自分の未来にこんな試練が待っているとは、全く予想もしていなかったでしょう。けれどもこれは特殊な例ではありません。



その理由について、いくつか書き出してみますと、


*本人が望んでいない昇格
*それが子育ての時期と重なっている
*まだ専門職としてのidentityが確立していない、あるいは、
  スランプに陥っている時期
*後輩のモデルになれない焦り
*後輩を指導できない不安
*管理業務の指導・教育を受けていない・・・・・・・・・・・・etc.

  東北大学の辻一郎先生によりますと、2006年に宮城県内のある市で40歳以上にアンケート調査をしたところ、心理的苦痛を感じている頻度が70歳以上でトップだったというのは頷けるにしても、次に高率だったのが40歳代だという驚きの結果が出たそうです。また、これはこの地方特有の結果ではなく、2007年に厚労省が行った「国民生活基礎調査」でも、25歳~34歳に、他の年齢層に比べて心の健康度が低い傾向が出た、とのことでした。これらのデータ―は震災前のものですから、今同じ調査をすればどんな結果が出るのかは分かりませんが、少なくとも若者~中堅層のメンタリティが低下していることを表していることは確かでしょう。

 中堅セラピストも、ちょうどこの年齢層に組み込まれています。
 以前と比べれば、出版されている専門書籍の数も卒後教育の機会も、手に入れられる情報の量も格段に多くなっていますが、それでも中間管理職のゆううつ(時には、悲鳴)は軽減する気配がありません。背景には、有資格者の数が増えて、競争原理が働いていること。終身雇用制度が過去のものになり、年功序列で昇進する保証がなくなったこと。社会保障制度そのものが不安定になっているために、将来の見通しが立たないこと、など様々な要因が考えられます。
 書き込みの件にお話を戻しますと、内容については以前から予想していたものの、「やはり、そこまできているのか」という落ち着かない気持ちになります。これは誰もが辿る道なのか、それとも専門職の宿命なのか、あるいは時代がそうさせているのか。

 この書き込みを使わせていただく了解を取るために、ご本人とメールを交換しました。
書き込みの深刻さとはうらはらに、元気で頑張っている、という印象を与える文面です。とすると、現場で張り切っている中堅セラピストも、表には出さないところで疲弊をしているかもしれません。
 先輩方の経験知を活かすことは、できないものでしょうか。そんなことを考えさせられました。と同時に、各自がこれらのことを予め想定しておく、ということも必要だと思っています。今すぐに解決することができなくても、できる範囲で対策を考え続けることができるからです。



 
  参考書籍:病気にかかりやすい「性格」(朝日新書  辻 一郎)

2012年3月17日土曜日

目標設定シートをキャリアアップに活かす



 「すみませんが、これ(目標設定シート)を作って実行しても、給料が上がらなければ意味がありません」。これは、2年前に目標設定面接で、あるスタッフから言われた言葉です。その時私は、内心で(もちろん、がっかりはしましたが)「この人が、こういうのも無理はない」と思いました。

 何故なら、その人には家族がいて、到底今の収入では生活を維持できない、ということが明らかだったからです。その人が最も価値を置いているのは、「収入の多寡」でした。結局その人は、在職中にいい仕事をして仲間に惜しまれながら、転職をしていきました。新しい職場は、今よりも高い収入が得られ、しかも通勤時間が短くなります。「いいところが見つかって、良かったですね」と言った時の、その人のホッとした表情が、今でも忘れられません。もう一つ忘れられないのが、「他に不満はないんです」という言葉でした。その人は、現実検討能力が優れていて、世の中を知らずにないものねだりをして勝手に失望する、というタイプではありません。この職場の「強み」も「弱み」も知った上で、「収入以外の不満はないんです」と言いました。その一言に救われた半面、個人のスキルや頑張りが結果的に上層部からの評価につながらない体制を、つくづく残念に思いました。それは、現場の責任者である私の一次評価に対する上層部の信ぴょう性が低い(つまり、「あなたの評価は、甘い」)ということでもあったのですが。







 ところで、目標設定シートは本当に個人にとって「意味がない」のでしょうか。私は、コーチングを個人面接に取り入れるようになってから、このシートは個人のキャリアアップに活かすことができる、と実感するようになりました。





 <個人にとっての目標設定シートの意味>



 面接は、目標設定シートを軸として進めます。自分の設定した目標の妥当性や部分修正が必要かどうか、進捗状況はどうなっているか。年間56回はそれぞれのスタッフが、面接の場で自分の目標までの到達度を確認しています(中には、面接の場で初めてシートを見返して、内容を思い出している人もいますが)。

 面接では、「個人目標の1番目については、○○○を続けて****割はできましたので、必達水準はクリアした、と思いますが、目標水準には今一歩届いていません」といった内容のプレゼンテーションをしてもらっています。当たり前のことのようですが、自分で立てた目標に責任を持ち、常に意識をして行動を起こしている人ほど成長のスピードは速くなります。たとえ、給与が上がる評価にはつながらなくとも(その古い組織体質の問題点はこの場では触れませんが)、このシートを軸にして行動を起こすことが、自分自身のキャリアアップにつながる、ということをスタッフは理解してきたように思います。面接を通じて、自分のキャリアプランを考え、現実とのギャップを確認し、準備を整え、歩き出す。

 もちろん、面接やシートの位置づけには個人差がありますから、「活かし方」も人それぞれです。現状をゴールとしている人にはあまり機能しないかもしれません。ですが、現状で満足していては、



「本人が望むなら、一生この仕事で食べていってもらいたい」という私の目的が果たせませんので、あくまでも本人のレベルに合わせることを前提に、このアプローチを続けていくつもりです。



 

 リハビリテーションの関連職種は、転職が多いことで知られています。転職の理由には、これまでのキャリア志向、家庭の事情、職場への不適応、に加えて、職場の経営が傾いた、リストラにあった、という事情も散見するようになりました。若い有資格者がどんどん増えていく中で、現場で働くスタッフは多かれ少なかれ自分の将来に不安を感じています。

 一方、転職をせずに安定した職場で勤続すればいいのかと言えば、同じ職場で長く勤めた人からは異口同音に「いまさら、他の職場には怖くて行けない」という言葉が聞かれます。当然のことながら年齢が上がるほど新しい環境に入って行くリスクは高まりますし、残念ながら同じ職場で終身雇用される人は、ごく一部の限られた人です。この現実から目をそらさずに、いつでもどこでも自分を活かせる状態にしておくことは、自分自身への責任、と言えば言い過ぎでしょうか。でもこれは、私が(有資格者が少ないために)「金の卵」と言われた時代からこの仕事をしてきて、様々な理由で転職をしてきたからこそ、言えることだと思っています。





 「給料が上がらなければ、目標設定シートは意味がない」。今なら、「あなた自身で、将来を改善できる力をつけるためのシートです」と言えます。



 グループ内の他院から転勤してきたスタッフによれば、目標設定シートを書いたことがそもそもほとんどなかった、とのこと。転勤からわずか2カ月。今回の振り返り面接で、彼が自分の設定した目標を意識して、日々行動をしていることが分かりました。この先の成長を楽しみにしています。

 

2012年2月26日日曜日

緊急時の判断とコミュニケーションスキル


 
 
 先日、とある会合で救命救急士のリーダーとお話をしました。救命救急士と言えば、一刻を争う傷病者に手当をしてERemergency room)まで搬送する緊急時対応の専門家。高いスキルと冷静な判断力、何よりもチームワークが必要です。現場で求められるスキルや、どんなふうに若手を指導・育成しているのか、について伺いました。


―どういう人がこの道を目指しますか?

A:色々です。人助けをしたい、という人から、TVで活躍しているのを見て「かっこいい」と思った人まで、動機は様々ですね。でも、実際はそんなにかっこいいものではありません。時には、傷病者から罵倒されることも。酔っ払い、とかね。ですからせっかく資格を取って職に就いても、辞めてしまう人がいるんですよ。思っていた仕事とは違う、と言ってね。


―ご苦労が多いお仕事だと思いますが。

A:傷病者への手当てもそうですし、受け入れ病院を捜すのがとにかく大変です。時間との戦いですから。これは傷病者の状態にもよりますが、救急隊と病院との信頼関係が大きく影響します。普段からきちんとコミュニケーションが取れているかどうか、ですね。正確な情報を伝えないで搬送してしまうと、その後病院から信用されなくなる、ということもありますから。結果的に人命に関わることですから、コミュニケーションスキルはとても大切です。

―コミュニケーションスキルを上げるには、どのように指導していますか。

A:きちんとした報告・連絡・相談ですね。自分の思いこみだけでは相手に伝わらない、と指導します。そこで信用を落とせばチームワークを乱し、受け入れ病院を失うことにもつながる。しかし、若手の中には「親にも怒られたことがなかった。初めて怒られました」という人もいますから、自分達が鍛えられた時のようにはいきません。注意した後は一呼吸置いて必ずフォローをするよう、主任達には伝えてあります。難しいですね。

―今企業では、部下の特性に合わせた指導・育成が生産性を上げる、と言われています。救急隊での指導は、どのようにしているのでしょうか。

A:個人の特性に合わせる、というよりは現場から学ぶことが多いので、経験を積み、先輩から学び、事例を振り返ることでスキルを上げていきます。ただ、救命救急士の定年退職などによる入れ替わりは1割以上なので、育成が大変です。


―個人差もあるでしょうが、何年くらいで一人前と言われるレベルになりますか。

A:これは、本当に個人差が大きい。入った情報を元に救急車の中でてきぱきと先取りをして準備をする者から、指示を待って動く者まで様々です。見込みのある者は1年で使いものになる。ならない者は何年たってもならない。使えるやつには、次々と仕事を任せられる。最初は非正規職員で採用しますが、見込みのあるやつには正職員というポストを与えます。彼(と、少し離れた所にいる若者を見ながら)なんかは、うちのホープとして期待しているんですけどね。



 リーダーの話の内容は、私がこれまで抱いていた救命救急士のイメージを裏付けるものでした。時間との戦いの中で、人命救助のためにベストを尽くす。個ではなくチームとして動く。救命救急のスキルが人命に直結する、など。


 意外だったのは、コミュニケーションスキルの重要性です。この場合、情報を正確に伝達することは言うまでもないことですが、そこには予想以上の個人差があり、結果的に受け入れ病院との信頼関係にも影響を及ぼしていることが分かりました。裏話として、同じ救急隊でも問い合わせる隊員によって先方の病院の受け入れ態度が変わることもあるのだそうです。「あの隊員の情報なら、信頼ができる(あるいは、できない)」という判断をされるとのこと。伝えるべき基本的な内容にそれほどの差がある、とは思えません。ただ伝え方によって情報への信頼感が変わり、その後の受け入れにまで影響を与えている、という内容は大変興味深いものでした。緊急時であるほど、それまでの信頼関係が瞬時の判断を左右する、ということはどの現場にも共通するものです。人命を左右するコミュニケーションスキル。医療安全に及ぼす個人レベルでのコミュニケーションスキルの重要性を改めて知るとともに、その指導・習得が今後の課題であることも伺われました。

 恐らく、指示を先取りし現場へ向かう救急車の中で準備ができる隊員は、受け入れ先を探すスキルも高いのではないか、と思います。救命救急士のゴールは、傷病者を安全に適切な医療機関につなぐことにあります。そこまでのプロセスがインプットされているからこそ事前の準備ができるし、受け入れ先が必要としている情報を適切に伝えることもできるのでしょう。
 
 
 

2012年2月5日日曜日

「自分でリハビリを倹約する」という動機づけ


 


 国民皆保険制度が完備している日本で、「お金がないから、医療が受けられない」という状況はそれほど表面化していない。しかしそのように呑気に構えていられるのは、自分が直接会計のお金を受け取る立場にいないからかもしれない。治療費の未収金は病院の経営上無視できない額で、回収のための専任のスタッフを置いている医療機関がある、とも聞いている。それでも自分の臨床と患者さんの経済力がどのくらい密接につながっているか、ということにそれほど意識を向けてきたわけではない。
 経済的に困窮している人には活用できる社会資源を紹介し、必要に応じてメディカルソーシャルワーカーに対応を依頼した。そうして臨床を継続してきた。患者さんが機能を回復し生活を取り戻す上で経済力は最重要な課題だが、そこを直接取り上げることは難しかった。しかし、そうは言っていられない事態が現実のものとなっている。

 超急性期病院から紹介状を持ってやってきたSさんは、糖尿病に脳血管障害を併発していた。歩行には支障のない状態で「右手が不自由だから、ここで治してもらいたい」との要望だった。私は最初に「リハビリテーション(以下:リハビリ)は治してもらうところではありません。Sさんが良くなるようお手伝いをするところです」と説明をした。初回の評価を終え外来リハビリのスケジュールを設定する段になって、突然Sさんが「お金がないんです」と言った。自分にはほとんど収入がなく毎回治療費を子どもからもらってきている、とのことだった。他にも何カ所か通院している病院があるのでお金がかかってしょうがない、と訴えた。正直にいえば、こちらも困惑した。どう対応していいのか分からなかった。とにかくその日は家でお子さんと相談をしていただくことにして、予約のことは連絡待ち、という対応をとらせてもらった。
 幸い翌朝Sさんから連絡が入ったことで、リハビリの継続をお子さんも了解したことが分かったが、実際の訓練場面でSさんはまたしても「お金がないんです」と訴えた。

 話していて分かったことは、Sさんは生活保護を受給する程度ではないが、自分の自由になるお金が乏しく毎回子どもから治療費を受け取っている。高額医療費負担の対象になるほどではないが、その費用はお子さんにとっても負担の大きなもので、親子関係にも大きく影響をしているらしい。リハビリに限っていえば、「1か月にいくらかかるのか」が分からなければ次の予約も取れない、ということだった。この返答に概算は許されない。医事課に確認を取り、具体的な自己負担額をお知らせした。改めて1か月分の費用を計算すれば、リハビリ通院は結構な金額になる。このお金を毎回子どもから受け取って通院する人がいる、ということに意識が向いていない、とはうかつだった。
 Sさんだったら、生活防衛のためにスーパーの広告を見比べて必要な品物が5円でも3円でも、もしかしたら1円でも安かったら、たとえ30分遠くまで足を延ばしてでもそちらを選ぶだろう。その切実さの上にリハビリの通院があることを考える必要があった。

 Sさんの状況をコーチングの基本プロセスであるGROWモデルでイメージしてみると、
Goal(目標を明確にする):右手が治る⇒右手で箸が使え、字が書けるようになる
Reality(現状を把握する):自分には自由になるお金がない
Resource(資源を発見する):歩くことは不自由ない、子どもの援助がある
Option(選択肢や方法を考える):どうすれば子どもにかかる負担を軽くできるか⇒リハビリを少ない回数で早く卒業する
Will(意志を確認する):自分でできることは自分でする

 そこで私は、GROWモデルをベースにSさんにこんな提案をした。「Sさんには、自分で練習できることが沢山あります。ここで覚えたことをお家で繰り返し練習して右手が良くなれば、ここへ通う回数も減らせます。その分リハビリの費用が浮きますから『倹約』になりますよ」。聞いているSさんの表情が変化した。「倹約」という言葉が機能したようだ。

 倹約には「むだを省いて出費をできるだけ少なくする」という意味がある。リハビリの通院を「むだ」とは思わないが、自宅でできることまで病院でする必要はない。ましてSさんは「誰かに治してもらいたい」という気持ちで来院しているのだから、自立を促す意味でも主体的に自分の課題に取り組んでもらう必要があった。Sさんにとって具体的に支出を減らせる提案は、現実的で有効だったようだ。
 ただ、このアプローチには機能する人としない人がいることを知っておかなければならない。ゴールと現実のギャップが大きすぎてどうしても埋めることができない場合もある。その場合はゴールの調整や、使えるリソースを総動員する必要がある。結果が伴わないこと=ご本人の責任、と短絡的に結論づけないことが肝要だ。

 それはともかくとして、私が提案をしている途中からSさんの座り方が前傾姿勢に変わり、少し多めの宿題もしっかりバックに入れて帰って行った。「お金がない」という言葉はもう聞かれなかった。


 「自分でリハビリを倹約する」という動機づけは高齢者にとって、抽象的な「自立への促し」や「放置しておくと、硬くなりますよ」という脅し(?)よりも有効だと思う。努力の結果が数値(しかも、金銭)として表れれば、それは頑張った自分への明確な「ご褒美」になるからだ。「あなたが自主トレをした分で、○○円のリハビリ費用が倹約できましたね」という会話ができたら楽しくなりそうだ。同業者には怒られるだろうか。