ある病院での、カンファレンスの時だった。話題は、主治医や看護師の指示を守らない(コンプライアンスの悪い)患者と家族について。
・安静度を守らない
・家族の判断で、勝手に歩行訓練をする
・医療者側の指示を聞かない、etc・・・・・。
どうすればいいのか、と、議論はしばらく白熱していた。その場の空気は、「だから、主治医からしっかり説明をして、指示に従うか、それでもなければ、もうここでは対処できないことを伝えてくれればいいのに」という方向に流れていた。
患者は脳神経外科で手術をしていたが、予後のはかばかしくない疾患だった。しかも、予想通り運動機能が障害されていた。そのことについて家族は、術前・術後にわたり医師から説明を受けていた。にもかかわらず、まるで何も聞いていないのではないか、と疑いたくなるくらい、全ての説明や指示を無視して、自己判断で患者に歩行練習をさせたり、好きなものを食べさせたりしていた。それは、見ている看護師の方がストレスで参ってしまうような、大変な状態だった。
カンファレンスでの議論は、収束の気配を見せない。このままどうなるのだろう・・・・。その時、同席していた若い医師がおもむろに口を開いた。この医師は、時々「ことほどさように」(それほど、の意)と言う。いつもその言葉は、前後の文脈から浮いていて、その場の雰囲気に合わない言葉だった。ただそのミスマッチが、かえってその医師の印象を強めている、そんな効果はあった。とにかく、頭脳明晰でいつも自信に満ちていたその医師が、この時だけはいつもの「ことほどさように」ではなく、こう言った。
「確かに、あの家族は大変だ。医師の指示を守らない。転ぶかもしれないのに、危ない歩かせ方をする。治療食も食べさせないで、患者の好きなものばかり食べさせる。まったく、病院という場所にはなじまない。反治療的な態度ばかりをとっていて、問題だ」。皆は、わが意を得た、と頷いた。
・安静度を守らない
・家族の判断で、勝手に歩行訓練をする
・医療者側の指示を聞かない、etc・・・・・。
どうすればいいのか、と、議論はしばらく白熱していた。その場の空気は、「だから、主治医からしっかり説明をして、指示に従うか、それでもなければ、もうここでは対処できないことを伝えてくれればいいのに」という方向に流れていた。
患者は脳神経外科で手術をしていたが、予後のはかばかしくない疾患だった。しかも、予想通り運動機能が障害されていた。そのことについて家族は、術前・術後にわたり医師から説明を受けていた。にもかかわらず、まるで何も聞いていないのではないか、と疑いたくなるくらい、全ての説明や指示を無視して、自己判断で患者に歩行練習をさせたり、好きなものを食べさせたりしていた。それは、見ている看護師の方がストレスで参ってしまうような、大変な状態だった。
カンファレンスでの議論は、収束の気配を見せない。このままどうなるのだろう・・・・。その時、同席していた若い医師がおもむろに口を開いた。この医師は、時々「ことほどさように」(それほど、の意)と言う。いつもその言葉は、前後の文脈から浮いていて、その場の雰囲気に合わない言葉だった。ただそのミスマッチが、かえってその医師の印象を強めている、そんな効果はあった。とにかく、頭脳明晰でいつも自信に満ちていたその医師が、この時だけはいつもの「ことほどさように」ではなく、こう言った。
「確かに、あの家族は大変だ。医師の指示を守らない。転ぶかもしれないのに、危ない歩かせ方をする。治療食も食べさせないで、患者の好きなものばかり食べさせる。まったく、病院という場所にはなじまない。反治療的な態度ばかりをとっていて、問題だ」。皆は、わが意を得た、と頷いた。
「しかし・・・・・」。次の一言でこのカンファレンスは、あっという間に収束した。
「しかし、奇跡というものは往々にして、そういう家族が起こすものなのだ」。
あの病院の脳神経外科は、エリート集団だった。いつでもリーダーシップを取ることができた。その一人の医師の口から、「奇跡」という言葉を聞いた時、私はとても驚いた。「ことほどさように」とは比べ物にならないくらい、似つかわしくない言葉が出てきたような気がした。が、次の瞬間「この医師は、自分の限界をわきまえているのだ」と感じ、深い尊敬の念を覚えた。あの時あの場でその言葉に反論する者は、誰一人としていなかった。
あるいは、あの言葉は「恩師」の教えだったのかもしれない。そのくらい、確信に満ちていて、迫力のある言葉だった。本質的な言葉には、力がある。病院という無機質な壁の中で聞いた「奇跡」という言葉。メスを錦の御旗にせず、自分達の力の及ばない領域があることを認識し、その曖昧さの中に身を投じるには、それなりの力が要る。私があの時感じたのは、優秀だがその才能を見せつけるために「ことほどさように」などと言っているように見えた若い医師の、「自分の万能感におぼれてはいけない」という謙虚さだったような気がする。
恐らく、メスを握る医師が同じ医療職者に向かって「奇跡」を口にすることには、大きな抵抗があるはずだ。勇気のいることだろう、と思う。あの医師には、それができた、ということである。
「しかし、奇跡というものは往々にして、そういう家族が起こすものなのだ」。
あの病院の脳神経外科は、エリート集団だった。いつでもリーダーシップを取ることができた。その一人の医師の口から、「奇跡」という言葉を聞いた時、私はとても驚いた。「ことほどさように」とは比べ物にならないくらい、似つかわしくない言葉が出てきたような気がした。が、次の瞬間「この医師は、自分の限界をわきまえているのだ」と感じ、深い尊敬の念を覚えた。あの時あの場でその言葉に反論する者は、誰一人としていなかった。
あるいは、あの言葉は「恩師」の教えだったのかもしれない。そのくらい、確信に満ちていて、迫力のある言葉だった。本質的な言葉には、力がある。病院という無機質な壁の中で聞いた「奇跡」という言葉。メスを錦の御旗にせず、自分達の力の及ばない領域があることを認識し、その曖昧さの中に身を投じるには、それなりの力が要る。私があの時感じたのは、優秀だがその才能を見せつけるために「ことほどさように」などと言っているように見えた若い医師の、「自分の万能感におぼれてはいけない」という謙虚さだったような気がする。
恐らく、メスを握る医師が同じ医療職者に向かって「奇跡」を口にすることには、大きな抵抗があるはずだ。勇気のいることだろう、と思う。あの医師には、それができた、ということである。
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