2011年9月3日土曜日

「寝ていることに、疲れた・・・・」

 
「もうデーターも悪いし末期だから、リハビリテーションの関与は中止でいい」と言われている患者さんのところに、会いに行った。酸素マスクの下で寝息を立てている。恐らく起きないだろうが、試みにそっと名前を呼んでみた。1度、2度・・・・やはり目覚めない。このまま起こさずに、今日は立ち去ろう。出口に体を向けて23歩進んでから、確認のため振り返った。するとその人は、目を開けてこちらに視線を向け、何事かを話している。不明瞭で聞き取れない。耳を口元に近付けた。「・・・・・疲れた」。(えっ?)「寝ていることに、疲れた!」。二度目は、少し強い口調だった。



この人に告知はされていない。ただ、何カ月もベッドの上で天井を眺めながら自分の体と向き合っていれば、少しも良くならないどころかどんどん、悪化していることは当の本人が一番よく知っている。最初は、看護師の悪口を言っていた。それから、家族の気の利かなさを愚痴った。一人の時は、じっと遠くを見る目をしていた。手足には、リンパ液の滲出を防ぐために包帯が巻かれている。食事は止められ点滴で補液はしているが、舌は乾燥していた。時々痛みを訴えるが、疼痛コントロールは比較的良好だった。



今は癌性疼痛に対する治療が進歩し、セデーションをかけなくても、痛みに苛まれる様子を見かけることはあまりなくなった。それに、意識レベルが低下したまま亡くなる日まで会話が断たれる、ということもない。一方、意識が比較的クリアな状態で寝たきりのまま、毎日自分の「死」と向き合う時間が増えている。誰にも分からない、誰も経験したことのない孤独と向き合っている時間が長くなる。もし私がベッドに横たわっているなら、この状況をどのように受け止めるのだろう。



会話の中で、今日の日付を確認すると「あー、もう、そんな時期になったのか」というような反応をする。(入院して、何カ月がたちましたか?)「・・・・3か月・・・・」。(・・・・永いですね・・・・)目を閉じて頷く。嘆息しながら、目を閉じている。少しの沈黙の後で、また伺いますね、と言ったが応答があったのかどうか分からない。



「寝ていることに疲れた!」という言葉は、重い。「何のために生かされているのだ」と問われているような気がする。


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