「百聞は一見にしかず」とは「人の話を何回も聞くよりも、自分の目で確かめるほうがよく分かるということ」だが、見方を変えるとこれは、「一目見ることには単に聞くだけの百倍以上の情報量がある」ということでもある。
ふと、これを臨床実習と座学に例えてみた。ことわざどおりに単純に計算すると、臨床実習8週間(正味40日)で、学内学習の4000日分以上の情報を得ることになる。情報量という切り口から見るだけでも、臨床実習がいかに大変な課題であるか、という実感に重みが増す。実習で経験したことが真に血肉化するには、それだけの時間が必要だ、ということでもある。
ちなみに、座学としての私たちの専門領域の学習量は、創成期の3倍にも及ぶのだそうだ。例えが適切ではないかもしれないが、頭の中に、リニューアルのたびに分厚くなっていく家電製品のマニュアル本が浮かんだ。手に取った途端、その厚さと重さに読む気が失せる。それでも、専門領域ではこれを一通りはマスターしなければならない。マニュアル本なら配置やフォントなどを工夫することによって、優先順位の高いものや、最初に知らなければならないことが強調されているが、翻って、専門教育分野ではこの圧倒的な情報量を、誰がどのように取捨選別して学習者(学生)に伝えているのだろう。もちろん、教師はそのために存在しているのだが、幾多の制約の中で試行錯誤している業務を知るにつけ、この情報の取捨選択はかなりハードルの高い課題だろう、と思ってしまう。
話を臨床実習に戻す。座学の情報量がどんどん増えているが、それに輪をかけるように現場で求められる情報もまた増え続けている(だからこそ、座学のマニュアルが厚くなるのでしょうが)。私たちは、後輩育成への熱意をベースに一生懸命学生の不足を補おう、与えよう、としてきたが、正直なところこの方法にもそろそろ限界を感じている。卒前の臨床教育では、習得すべきゴールの的を絞り、ゴールへの道筋を学習者がイメージできるほどに具体化する必要がある。しかもこれは膨大な情報を目の前にして、学習者一人ではなかなか困難な作業である。
例えば、学生が「見学させてください」という。半日、見学をしながら熱心にメモを取っているが、後で「何を見たのか」を質問すると、3つ以上答えられる学生は、まれである。ここでは、「見学する」ことそのものが目的化しているからだ。さらに、目の前の膨大な情報の中から、「何を」見て学ぶか(見学)についての意識化がされていない。このような場合、見学の後にノートにまとめてきたものを見てから、改めて書かれてあることについて云々するのではなく、道しるべを作るために予めいくつかの質問をしておくと効果的である。(※SV:実習指導者、PT:理学療法士、OT:作業療法士)
PT学生「今日の午前中、OTの見学をさせてください」。
SV「分かりました。では、見学に入る前に、この見学の目的を明確にしましょう」。
PT学生「?」
SV「あなたは、この見学を通してどんなことを知りたいのですか?」。
PT学生「・・・・・OTがどんなことをしているかを、見てみたいです」。
SV「そこをもう少し、具体的に話してもらえますか」。
PT学生「OTとPTの違いを・・・・」。
SV「違いを知りたい?それから?」。
PT学生「患者さんの反応が、PTの時とOTの時で同じかどうか確認したいです」。
SV「それはいい視点ですね。それから?」。
PT学生「OTが何のために折り紙を使うのか、を教えてもらいたいです」。
SV「では、折り紙を使っているOTに、直接その目的を質問してください。それから?」。
このくらい目的を具体化すると、見学に対する学生のモーティベーションが格段に高くなる。さらに、この文脈では学生が自らOTに質問をすることまで設定されている。
SV:「では、この3時間の見学の目的は、①一人の患者さんが、PTとOTの場面で同じ反応をするかどうか、と②OTがどんな目的で、どのように折り紙を使うのか、を明確にするため、ということで宜しいですか?」。
PT学生:「はい」。
SV:「それでは、よろしくお願いします」。
PT学生:「はい、お願いします」。
限られた時間で、見学の効果を最大化するには、これくらい目的と方法を具体化(チャンクダウン)するほうが、学生の行動が促進される。
「百聞は一見にしかず」。一目見ることから伝わる情報量は計り知れない。しかし、目の前の膨大な情報の中から何かをつかむには、見る者の中に予めアンテナが張られていなければならない。その準備性を整えるためにも、事前の質問のスキルが機能する。これは、個々の学生のレベルに合わせて調整が可能な、SVにとっては役に立つコーチングスキルです。
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