2011年9月4日日曜日

 「私なんかより、ずっとずっと死から遠い所にいる先生でした」

 
この言葉は、15年以上も前に患者さんから聞いた言葉です。その時の静かな口調と状況を、今でも鮮明に覚えています。たぶん私にとっては、これからも忘れられない(忘れてはいけない)シーンです。



 その時の状況を少しお話します。



 インフォームド・コンセントが臨床の場で日常化し始めたころのこと。軽い脳梗塞患者だったその人は、発症直後の換語困難も改善し、OTの時間に色々なお話をしてくれました。短期間の入院が終わった退院前日、「実は昨夜下血をしまして、退院できるかどうか微妙な状態です」、と教えてくれました。結局、翌日予定通り退院はしたものの、1週間で下血の精査目的のため再入院。その時は、ご本人の希望を聞き入れる形でリハのオーダーが出され、主治医からは大腸癌の診断名と共に「オーバーワークに留意」するよう、指示を受けました。



 1週間ぶりにお会いしたその人は、わずかの期間でとても憔悴していました。予後は不良と予測されています。告知を受けているわけではないのですが、この人は遠からず訪れる「死」を意識している、そう感じました。そんな中でのOTの時間を、担当者である私は、その人にとって過去を振り返り、これから残された時間をどのように過ごすか、を共に考えるために使おう、と決めました。



 再開から数日が過ぎたころ、こんなお話を伺いました。



「私は戦争に行きました。何時も死を覚悟していた。だから、死ぬ事は怖くないんです。戦友が死んだ時、火葬にします。敵に荒らされないように一晩中見張っている。360度視界を遮るものがない。どこからいつ、敵に攻められるかとあの時は、怖かったですね。死ぬのは怖くないけれど、死ぬまでの間、痛かったり苦しんだりするのは、いやですね」。



 (この人は、自分の予後を知っている)私はそう確信しました。そこで思わず、<病気のこと、主治医の先生は何とおっしゃっていますか?>と尋ねたのです。



すると「この病気で死ぬこともある、と」。

この応答の様子からは、主治医の余裕のない伝え方が伺われました。



<お幾つくらいの先生でした?>



「私なんかより、ずっとずっと死から遠い所にいる先生でした」。



いつも穏やかなその人の口調が、ほんの少しだけ違っていました。この告知の仕方に、とても傷ついたであろうことが伝わってきたのです。と同時に、慣れない告知をするために、自分の感情をコントロールしようとして、結果的に余裕のない伝え方になってしまった医師のインフォームド・コンセントの様子も目に浮かぶようでした。



あれからずっと、「伝え手の言動がどのようにクライアントに届いているのか、は実のところ分からないのだ」と思っています。告知のスキルは、格段にレベルアップしています。医師は丁寧に時間をかけて、共感と傾聴のスキルを駆使していますし、あの頃のような、「乱暴な伝え方」とクライアントが感じるような場面もずい分減ったことでしょう。それでも、「伝えたから」「伝わったはず」なのではないことを、知っておく必要があります。特に「死」に関する告知を受けるとき、クライアントは伝え手を「私なんかより、ずっとずっと死から遠い所にいる人」と、感じているかもしれません。


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