今日参加した研修で、大変インパクトのある言葉を聞きました。「熟練の煉獄」です。調べてみると、福島真人が『暗黙知の解剖-認知と社会のインターフェイス』の中で説明している言葉のようです。内容は以下の通り。
複雑な仕事がくり返され、注意深くやっていた仕事が、いつしかルーチンになって、身体の知として行われる。それは仕事のショートカットであり、儀礼化でもあり、効率的になるけれど、環境が変わるとお手上げにもなる。「訓練された無能」といわれるこうした現象を、「熟練の煉獄」と呼ぶ。
リハビリテーションの専門職も熟練になって自分なりの方法を身につけると、いちいち頭で考えなくとも体が自然に動いてくれます。そうすれば、効率的なルーティンワークができる。なので、その先は学ぶことを止めてしまう人が多い、とのこと。専門職が熟練と呼ばれるには、10000時間、とも10年とも言われる時間が必要です。しかし、ようやくその域に達した、とは言ってもそこで学ぶことを止めてしまって、それからの環境の変化に対応できるのでしょうか。今、私たちの置かれている状況や立場は激変しています。
この現象の課題は、「熟練」のその先に目標が見えないことなのかもしれません。何となく「先が見えてしまったような気がする」。でも、本当は「具体的な目標が見えない」。だから、「学ぶことの意味が分からない」。そして「学ぶことを止める」という流れが見えてきます。
実は、こんな状況だからこそマネージャークラスの「学び続けている人材」が貴重であり、求められています。経験年数10年目くらいの転職は、転職先を探すのに大変苦労する、と聞きました。一方で現場もそのくらいの経験を持った「有能な人」が欲しいのです。このような現場のニーズに応えられるようになることを、目標の一つにしてもいいのかもしれません。その上、目標を持って学び続けていれば、環境の変化にも対応できるはずです。「熟練の煉獄」から、自由になりたいと思います。
今日の終わりに、私の好きな言葉を二つ。自戒を込めて。
・「最も強いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残る」(ダーウィン)
・「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」(リクルート:江副)
こんにちはmiです
返信削除なかなかPCを開けず
今日ようやくブログに遊びにくることができました
読んでいて思ったのは
機械や物質相手の仕事でなく
ひとりひとり全く異なった人に接する仕事だから
もしも 具体的な目標が見えない、学ぶことの意味が分からない、同じように同じことをしていたとしたら
きっとその人自身を見ていない
人に向きあえていないのかもしれないなあと思いました
100点がはっきりしない仕事だからこそ
いつまでたっても何年経験を積んでも
今 出会った人のことを考えて 想って
ずっと自分の出来得るベストを模索し続けることが
学ぶことの原動力になる気がします。
いつまでも学び続けて 変化し続けたいです。
インフォームドコンセントの話しも胸に深く残りました
死から遠いところかどうかは
きっと神様しかわからないのだけれど
死を自分自身には遠いところとしてとらえていることは
深く深く傷つけ 言葉も安易になってしまって
私自身はどうなのかな・・・。
死も病も遠い遠いところととらえている部分も
無意識にあるのかもしれません。
考えさせられました。
以前あきゅちゃんの日記にビクトル・フランクルの言葉を書かれていましたね
昔いくつか著書を読みました
苦難を前にして人生に期待されていると考えると 自分を哀れんだり 人を妬む気持は無くなり
がんばろうという前向きな気持ちがうまれてきます
何かを言いわけにしたり 逃げたりせずに
自分の弱さも認めて 人を思いやる強さをもって
前向きに向上心を持って生きていきたいです
なかなかPCを開けないのでまたゆっくり来れるときに遊びにきます。