2011年12月17日土曜日

「コーチングの副作用」について


 コーチングには、薬やメスのような副作用がない、というのが定説です。コーチングの定義は「クライアントの行動を促進するコミュニケーションスキル」ですから、まさか副作用が伴う、とは思えません(でした)。これは私の勉強不足かもしれませんが、今まで手に取った書物にも、「副作用」や「失敗」を正面から取り上げたものはあまりなかった、と記憶しています。あったとしても、それは実施するもののスキルの未熟さゆえ、という取り扱い方です。つまりコーチが熟練しさえすれば克服できる類のもの、ということでした。



 最近私は、コーチング的な関わりをしているスタッフに危ういものを感じる、という経験をしました。それを副作用、と呼べばいいのか、アプローチのミス、と考えればいいのか、思案中です。今回は、そのことについてまとめてみます。





 Aさんは育児の真っ最中ですが、とにかく仕事が大好きで、いつも全力疾走で病院中を駆け回っています。部署内の課題に対しても積極的な提案をしてくれますし、仕事も速い。もちろん、人間関係にもそつがなく、リーダーから見れば、とても頼もしくて「できる人」。最近は、ますます行動に加速度がついて、私の期待値をいつも上回るという、パフォーマンスの高さです。しかも、家庭との両立も完璧(に見える)で、非の打ちどころがありません。でも、そんなAさんに、私はいつしか不安を覚えるようになりました。



 彼女に目標を立てるよう求めたのは私ですし、行動を促進するよう働きかけたのも私です。Aさんは、もともと上昇志向の高い人でしたが、家庭がありましたのでワークアンドライフバランスを保つために、幾分仕事のペースを落としているように感じられました。そこで、「あなたの実力は、そんなものではないでしょう」とばかりに、前を、上を見るよう勧めてしまったのです。結果的に、彼女は期待以上の働きをするようになりましたが、気がつくとまるでブレーキの効かない車のような走り方をしていました。このままでは、どこかに激突して大破してしまいそうです。



 そこで、「時々力を抜いてみたら」といったニュアンスの言葉をかけてみました。すると、彼女はものの見事に私の意図を見抜き、「お気づかいありがとうございます。それでは、少しペースを落とさせていただきます」と応答してきました。どうやら彼女は、走り続けてはいるものの、自分でもコントロールのできない状況に疲弊していたようです。いえ、あるいは、私がコーチングをしているつもりで、彼女を煽っていたのかもしれません。決して、「こうしろ」「ああしろ」と指示したわけではありませんが、ノンバーバルなコミュニケーションを通じて、私が無意識に発したメッセージは、予想以上に強力だったようです。とにかくAさんは、私の「力を抜いたら」という一言にホッとしていました。



 職場のリーダーとして、自分の期待に応えてくれるスタッフの存在はとても嬉しく、有難いものです。だからこそ、陥ってはいけない落とし穴もあることを、知らされました。



タイトルの「コーチングの副作用」は、服薬管理と同じように「用い方を誤ると思わぬ副作用を引き起こす」という今回の経験を踏まえて、つけたものです。まだまだ使い方のさじ加減も知らない初心者だ、と反省しました。「無害」と思っていたコーチングの、思わぬ一面を知ったような気がしています。

2011年11月27日日曜日

コーチングの年次大会とお見舞い


 昨夜私は、ご主人が東大病院に入院している友人に会いに行きました。東大まで来なければならないような重篤な疾患を抱え、ご夫婦で地方から上京しています。入院から半年たった最近になって何とか小康状態を得ることができ、「退院の許可が出そうだ」というので、帰郷の前にもう一度会おうと訪ねて行きました。安田講堂の周辺にはライトアップがされている見事なイチョウ並木があり、その下を友人と話しながら歩きました。



 友人に会う直前まで私は、日本コーチ協会の年次大会に参加しています。スポーツやビジネスや、医療の中でも「アンチエイジング」がテーマだった今回の講演は、全てがテンポも歯切れもよく語られていて、久しぶりに元気が出たような気持ちになったのでした。シンプルで分かりやすく、その分ストレートに伝わってくるコーチングの魅力を再認識しました。脳科学と関連付けたコーチングの効果についても言及されており、今後はますます研究が進んでいくだろう、という期待が膨らみました。その後で、友人のもとに向かったのです。



 友人のご主人の闘病は年余にわたり、様々な医療機関にかかっています。毎日が死と向き合う生活をしていました。私はそのご主人を支え続けている友人が、気にかかっていました。夫の闘病だけではなく、家業のことでも山のような責任を負っています。しかも誰にも愚痴をこぼさない人で、この友人にとっては私が唯一の話し相手のようでした。ご主人もそのことを知っているようで、それとはなしに私に妻(友人)を託しているようなところが、伺われていました。



いつも私は友人として話を聞きますので、フランクな雑談も入りますし、話題も多岐に渡ります。ですから昨夜も、講演で聞いてきたコーチングの一般原則「私的な会話はしない」とは大きく外れて、「私的な話ばかり」でした。コーチングフローも、その時の私の頭にはありません。何時間も友人は、時に目を赤く潤ませながらも感情に流されることなく、話し続けました。



 この自分の行為が「コーチング」と呼べるのかどうかは分かりませんが、コーチングスキルを使っている、とは意識していました。それが「ケアする人(友人)をケアする」行為であってくれればいい、と思っています。





年次大会では、伊藤守氏がコーチングについて「様々な定義があるが」という前置きと共に、「人材(人財?)開発の手法」と説明していました。ビジネスコーチングにおけるシンプルで分かりやすい定義です。私は、コーチの語源「大切な人(クライアント)を馬車(コーチ)に乗せて目的地まで送り届ける」が、自分にフィットするイメージだと思っています。





別れ際の友人の目には、これからの覚悟と決意が見て取れました。彼女には元々そのような強さが備わっていたのですが、この数時間の中でいくらかはサポートができたのかもしれません。同じ日の年次大会とお見舞い、私にとってはコーチングについて改めて振り返ることとなった貴重な経験でした。

2011年11月12日土曜日

「承認としての質問」について


 コーチングでは、「傾聴」「共感」「質問」「承認」が主要なスキルとして紹介されています。「傾聴」「共感」「承認」が、あるコミュニケーションの中で、重層的に機能していることが多い(と言うより、分解が難しい)のに対し、「質問」は、他のスキルと連続的に使うことはあっても重なりあうことはないだろう、というのが私のこれまでの印象でした。

 ところが、あるクライアントとの会話を通して「承認としての質問も、あるのかもしれない」と思えるようになり、個人的には大いに触発されています。



 今回は、その経験のご紹介です(内容は、文脈を損ねない程度に加工してありますので、ご了承ください)。



 みな子さん(50代、女性)は、肺がんが身体中に転移しています。今回は化学療法を受けるために入院しました。痛みが強いため、リハビリテーションで慎重な配慮をした上での運動を実施しますが、「良くならない」「痛みが強くなった」と苦痛をいつも訴えるような状態でした。時には、こちらの反応を試すように「この病気は、治るんですか?」と質問をすることもあります。身体を起していることが辛いので、ほとんどベッドに横になっており、食事もあまり摂れていません。みな子さんが自発的に行動を起こすのは、トイレに行く時と、車いすに乗って病院の敷地外に行き、喫煙をする時だけです。



病状からすれば、喫煙のような反治療的な行為は止められるはずでしたが、生命予後を考えると制止することにはそれほどの意味がない、と判断しているのか、病棟ナースは黙認状態でした。病状の深刻さについては私も知っていましたので、逆に何故あれだけの状態を押してまで、喫煙に向かうのか、が不思議でした。これは、愛煙家でなければ理解の難しいところなのかもしれません。とにかくみな子さんは、煙草が病状に障ることを知った上で、何をおいても喫煙に出かけて行きました。ただ、「自分のしたいことをしている」にしては、車いすを自走してエレベーターに向かうみな子さんの背中は孤独でした。



そのような中で、みな子さんと私との会話は言葉が少なく、苦痛をめぐってのやり取りが続いていました。何度も、喫煙に出かけて行く車いすのみな子さんを見かけ、「こんな寒い日にも、煙草を吸いに行っているのですか?」と声をかけましたが、彼女はかすかに頷くだけでした。



 体力は日ごとに低下していましたが、ある日、みな子さんの体調が比較的良さそうだったので、私は改めて「今、どのように身の回りのことをしているのか」についての聞き取りを行いました。この時の二者関係は「まだ十分な信頼関係が築けていない」という印象です。聞き取りの中に私は、「利き手には、少し麻痺がありますね。麻痺のある手で、どんな風に煙草を持っていますか?」という質問を入れました。それを聞いた時の、少し驚き、初めてホッとしたようなみな子さんの反応は、私の予想をはるかに超えたもので、それから身振りを交えて煙草の持ち方を説明してくれました。説明が終わった時、みな子さんと私の関係性が少し進展したような気がしました。



 それまでの私は作業療法士(医療従事者)として、クライアントの病状を更に悪化させる行為(喫煙)を認めるわけにはいかない、と思ってきました。ですから、「こんな寒い日にも、煙草を吸いに行っているのですか?」という何気ない言葉かけには、無意識のうちにどこか批判的なニュアンスが含まれていたのだと思います。けれども、孤独な車いすの背中を見ているうちに、喫煙をすることでしか今の自分を癒すことのできないみな子さんの気持ちを、少しずつ受け入れられるような気がしてきました。この段階で伝えた「麻痺のある手で、どんな風に煙草を持っていますか?」には、質問というオブラートに包んだ私の控えめな承認のメッセージを込めたつもりです。



 コーチングでは、質問はクライアントの中にある答えを引き出すために行う、とされています。みな子さんは、質問に包まれた私からの「承認」メッセージにとてもよく応えてくれました。その反応によって私は、みな子さんが何を必要としていたのか、を知ることになります。それは質問本来の目的にも適っているような気がしました。



みな子さんは私に、「ポジティブにせよ、ネガティブにせよ、質問者の意図は、透明ガラスのように相手に伝わる」ことを教えてくれました。何故なら、メンタリティが低下しているクライアントほど、ノンバーバルレベルの情報を察知しやすいからです(そう考えると、バーバルレベルの「質問例文集」があまり役に立たないのも理解できるような気がします)。

 

 どんなスキルもそうですが、「承認」をする場合にも、クライアントに受け入れられるための分かりやすい表現の方が良い、と思っています。その上で、今回のように正面を切って承認をすることがためらわれる場合や、シャイなクライアントに対しては、「承認を質問の形に込める」という方法も、コーチングスキルのヴァリエーションに該当するのかもしれない、と今はそんな風に考えています。コーチングスキルの重ね合わせ・掛け合わせ、という発想が個人的にとても気に入りました。何も新規なことを指しているのではなく、「私たちはすでに臨床の中でこれらのことを、例えば『共感的質問』もしているのでは?」などと妄想がたくましくなってきましたので、今日はこの辺で。



 みな子さんは、あれ以来、多少のコンディションの悪さを押してでもリハビリテーション室に来るようになり、いくらか冗談が通じるようになりました。

2011年11月6日日曜日

人生時計でゴールをイメージする






 
 リハビリテーションのプロセスの中で、クライアントのゴール設定は当然なされるべきこととして認識されていますし、医療に限らず、どの世界でも目標管理に基づく各自のゴール設定は必然とされています。





 ところが職場や立場を離れ、私人として自分の人生のゴールを立てる、という習慣は、それほど一般的なことではないのかもしれません。

 

 

 SNSや職場で「人生時計」の話題を提供したことがありますが、思いのほか反響がありました。自分のライフステージを、時計に置き換えてイメージしてみる。自分の長期ゴールを時間軸の中で客観的に捉えてみる、そんな経験が新鮮だったようです。

今回は、人生時計への反響を手がかりに、ゴール設定とコーチングについて考えてみることにします。



最初に「人生時計」とは。



 自分の一生を時計に置き換えて、「今の自分は、人生時計の何時にいるか」、を考えてみます。

生まれた時が0時。人生の終わりが24時。

これまでは、人生時計を感覚的にとらえていたのですが、実は計算式があることが分かりました。最初、SNSや職場では、
(年齢)÷3=人生時計の時間(この式によれば、72歳で24時になります)をご紹介したのですが、少し実情に合いませんので、ここで改めて現在の平均寿命を参考に式を修正します。

         

(年齢)÷3.5=人生時間(これですと、84歳で24時になります)。


 twitterで知った計算式年齢)÷3=人生時間を、「これは使える」と思ってそのまま御紹介した後で、72歳で24時になってしまうことに気付き、「これでは、ゴールが早すぎる」と慌てたのですが、72歳にまだまだ時間的距離のある人たちにとっては、この設定はあまり気にならなかったようです。とにかく、そのまま受け止めてくれて、時計の針が午前中の人、正午付近の人、おやつの時間の人、もうすぐ午後5時に差し掛かろうとしている人、などそれぞれの人が、今の自分を人生時計の上に置いて、ゴールまでの道のりをイメージしている様子が、書き込みからよく伝わってきました。中には、「今の僕は、分」とまで計算してくれた人もいました(これには、驚きましたけれど)。



 この人生時計のメリットは、とても分かりやすいこと。例えば、「私はまだ午前中なので、時間はたっぷりあります」。「私は今、人生時計の午後三時。終業時間まであと2時間だから、ここでおやつを食べて一息ついたら、このままのペースでもうひと頑張りします」。「私は今、午後4時。かなり疲れたけど、あともう少し。ゴールは近い。もう少し走りますよ」など。今午後に居る人の多くが、「午後5時」を目指して課題やペースを考えていることが分かりました。



先程も書きましたようにこの計算式、実は午後5時の時点では、まだ51歳ということになります。「あと一息」と頑張っている人には、糠よろこびをさせてしまったのではないか、と反省しています。ここで、私が修正した式で再計算をしてみますと、



(年齢)÷3.5=人生時間 59.5歳で17時になる予定ですので、御参考までに。(今後、現役期間の延長に伴って、この計算式には更に修正が加わることも予想されますので、予めご了承ください)。



いずれにしても人生時計は、自分が今ライフステージのどのあたりに居るのか、を知り、具体的に未来をイメージするための指標を与えてくれます。まだ試していない方は、この機会にどうぞ。


 まだ午前中にいる人は午後2時位をピークと捉えているようですね。コーチングを行う時に、クライアントが現在どこにいるか、によってゴール地点が違うのは、当たり前のことのようですが、こうして時計上にイメージしてみると、受け取るこちらの納得感に深みが増すような気がします。



ゴールは現在から未来に向かって設定することが定石ですが、

人生の夕暮れ時以降のゴール設定をどうとらえるか。
人生時間のどこまでをコーチングで扱えるのか、という視点から未来を考える時、経験の豊富なクライアントが「過去に味わった自己効力感」は大きなリソースになりますので、もっと意識的に活用してもいいのではないか、と考えています。

次にについての私の考えをまとめてみますと、

 ①17時以降の目標設定について。この時刻には、肩の荷が軽くなった気楽さに、これまで培ってきたものを手放す喪失感が伴います。「荷降ろしうつ病」と言われる症状が出ることもあるくらいですから、ここで未来に目を向けて新たな課題や目標を設定することは、一人では難しいことが多い。予防策として、リタイアの前から目標を設定してプログラムを立てておくことが健康保険組合からも推奨され、そのための講座も開かれているようです。ここに、個別対応のコーチングが普及すれば、団塊の世代のパワーをもっと活かすことができるのではないか、と思うのですが、これは誰でも考えそうなことですし、もうすでに実現していることかもしれません。

人生時計のどこまでをコーチングで扱えるのか。最初に、私が抱いたコーチングに対するイメージは、「結果を出すためにクライアントが最高の能力を発揮できるだろう、という時期に照準を定めて現時点からマイルストーンを置いていく」というものでした。一方、私が描くメディカルコーチングの理想は、限りなく人生時計の24時(ラストステージ)に近い所まで機能する、というものです。とはいえ、これは言葉でいうほどたやすいものではなく、いつも「どこまでがコーチングなのだろう」と自分に問いかけています。例えば、ベッドサイドで声をかけても目を開けず、身動きもしないクライアント(患者さん)に向き合う時などに。無謀なことかもしれませんが、これを私は「答えは出ないけれど、自分にとって必要な問いかけ」と位置付けています。


 

 自分の過去と現在と未来を、実物の時計を眺めながらイメージしています。過ぎて来た時間が長くなるにつれて、人は未来に希望を持つことが困難になり過去に惹かれるようになるそうです。足踏みをせずに少しずつでも前に進みたい、そんな気持ちになりました。では、この辺で。





2011年10月29日土曜日

コーチングを特徴づけるカウンセリングとの対比から


最近のジャーナルには、コーチングの特集がよく組まれています。結果を出すコミュニケーションスキルとしてコーチングは、今時流に乗っているのかもしれません。その前提のもとに、今回は少し違った切り口からコーチングについて考えてみようと思います。なお、ここでイメージするクライアントとは、「患者さん」を指します。



コーチングを学び始めてから、私にはずっと素朴な疑問がありました。それは「コーチングとカウンセリングとの違いはどこにあるのだろう。そもそも、区別する必要があるのだろうか」というものです。

どちらも、コミュニケーションを手段としてクライアントに働きかけることは同じですし、スキルとして「傾聴」や「共感」を用いるところも似ていますが、この両者の違いはどこにあるのでしょうか。



コーチングの特徴を説明する時にしばしば用いられるカウンセリングとの対比を、いくつかあげてみましょう。



  未来を扱うコーチングと、過去に向かうカウンセリング

  頑張るコーチングと、頑張らないカウンセリング

  健常者へのコーチングと、病者へのカウンセリング

  最短期間で結果を出すコーチングと、時間のかかるカウンセリング



 いずれも、ビジネスコーチングの立場から分かりやすく説明されていますが、改めて書き出してみると、少し一方的な解釈に見えてきます。例えば、化粧品から病者までを対象としている「カウンセリング」の、どの部分と対比しているのかが不明確です。一言で「カウンセリング」と言われても、受け手は様々なイメージを思い描くでしょう。私は、ここでのカウンセリングを「心理療法」と解釈しているのですが、他の人が同じイメージを持っているのかどうか、は分かりません。一方、コーチングにも様々な分野(例:ビジネス、スポーツ、教育、医療、他)や分類(個人、グループ、セルフ、他)がありますから、両者の定義を不明確にしたままこのような対比をしても、あまり意味がない、と言うよりもむしろ、実態とは異なるメッセージを送ることになりはしないか、と(余計なことかもしれませんが)少し危惧しています。
 ビジネスコーチングの分野では、これくらい端的な表現をする方が、コーチングを理解してもらうためには効果的なのかもしれませんが、私は時々臨床の場で、このような二項対立的な表現による不自由さ、言いかえれば上記のような対比によって作り上げられたコーチングのイメージを、窮屈に感じることがあります。例えば、*クライアントがこれから先のことではなく、いつまでも過去の話を続ける時、*クライアントを促進させるのではなく、ブレーキをかける必要性を感じる時、*明らかに抑うつ状態のクライアントに出会った時、などがそうです。このような場合、いつも頭の中では「これは、コーチングの内か外か?」という問いが渦巻いているのですが。



上記①~④に関連して、私がこれまで考えてきたことをまとめてみますと、

①未来を扱うコーチングと、過去に向かうカウンセリング:

全てのカウンセリングが、必ずしも過去を扱うわけではなく、過去を扱う場合でも、最終ゴールが未来に向かうクライアントの成長(未来)にある点では、コーチングと同じ。また、コーチングが過去を扱わない、というのも現実的ではないように思える。両者は共に過去も現在も未来も扱う、のが実態ではないだろうか。恐らく違いは、どこに重点を置くか、だろう。

②頑張るコーチングと、頑張らないカウンセリング:

「頑張る」ことだけがコーチングなら、医療現場の「今は頑張れないクライアント」を対象とすることは難しい。現場では、自ら頑張れないクライアントにこそ、コーチングスキルを駆使したサポートが必要とされているが、その方法には「頑張る」ことへの支援も「頑張らない」ことへの支援も含まれている。さらに、カウンセリングが対象者の「頑張らない」を支援するもの、と言うのは一面的な理解であり、他者から反論されても説明が難しい。これも違いは、どこに重点を置くか、なのだろう。

③健常者へのコーチングと、病者へのカウンセリング:

カウンセリングは病者だけを対象としているのだろうか。かつてアメリカでは、(コーチではなく)カウンセラーを雇うことがステータス、と言われていた時代もあった。日本においでも、カウンセリングの対象者は多岐にわたり、病者であるとは限らない。つまり、カウンセリングの守備範囲はかなり広いことになる。一方、コーチングはどうだろう。少なくとも医療現場の有資格者が行うコーチングの対象者には、患者であるクライアントが組み込まれている。③の対比は、該当しないだろう。



  最短期間で結果を出すコーチングと、時間のかかるカウンセリング:

同じクライアントにアプローチをするなら、カウンセリングよりもコーチングの方が、早く結果を出せる、という意味なのだろうか。もし単純に短い期間の終結をメリットとするなら、時間のかかる事例(例えば、慢性疾患患者)は、コーチングでは扱えないことになる。つまり、コーチングの対象は、短期間に結果の出せる非困難事例だけ、ということになりかねない。これでは、最初から対象者の枠を大幅に狭めてしまう。この対比も、医療の現場にはなじまない。

 もちろん、①~④の対比はコーチングの初学者に向けて、分かりやすくイメージしてもらうために、あえてシンプルに表現したものだ、と思いますから、ここまで取り上げること自体、大げさなことなのかもしれませんが。例えば①~④のコーチングのイメージを切り取って、組み立てるとどうなるでしょうか。



「コーチングとは、心理的に健康で頑張りのきくクライアントに対し、最短期間で最高レベルのゴールに到達することを目指す未来志向型のアプローチ」ということになりそうですが、これでは適用できるクライアントを見つけることがとても難しくなってしまいます。





ではここで対比の話題に一区切りをつけ、「心理的に健康かどうか」という話題からもう少し掘り下げたところの、心理的アセスメントについて考えてみます。

そのクライアントが本当に心理的に健康かどうか、は外観からは分からないことがあります。目標管理に基づくアプローチがストレッサーになっていることを、誰も(当の本人も)知らずに、つぶれてしまってから初めて気がつく、ということも、ないわけではありません。目の前のクライアントには、そのようなリスクが潜んでいるかもしれない、という洞察力をカウンセラー(この場合は、臨床心理士をイメージしています)だけではなく、コーチもベースに持っている必要がある、と思います。ゴールを目指すことだけに重点を置いていると、ともすれば見落としてしまう視点ですし、これはビジネスだけではなくどの分野にでも言えることとして、注意が必要です。このような時には、発せられた言葉だけではなく、沈黙やボディランゲージ等を含む非言語的なコミュニケーションが機能しますが、それでも予測しないことは起こり得ます。コーチングが、クライアントを追い詰めることに加担することのないよう、促進だけではなく抑制の機能も持ち合わせている必要性を感じています。(身近な事例を知っていますので、あえて)。



改めてメディカル・コーチングを考える時、一人のクライアントがコーチャブルになったりアンコーチャブルになったりするのが臨床ですから、その変化に柔軟に対応できるスキルを提供することが、求められていくのだと思います。





かつて担当させていただいたクライアント(健康な社会生活を送っている人)は、コーチングを始めるかなり前からカウンセリングを受けていました。このクライアントとは予め、深層心理の部分はカウンセリングで、現実的な課題はコーチングで、と話し合っていましたが、コーチとの関係性が深まってくると、セッション中に過去のことや心の深い部分に触れることもしばしばあり、終結の時の振り返りでは、お互いに「知的には理解していても、コーチングとカウンセリングの使い分けは難しい」ことを実感したものです。



 

今のところの私の結論は、「臨床におけるコーチングの特性(強み)は、カウンセリングとの対比ではなく、共存の中にあるような気がしている」です。では、この辺で。


2011年10月22日土曜日

5年後は?「私、生きている気がしないんです」


 医学の進歩もさることながら、こんな余裕のないご時世を反映して、働き盛りの人たちは病気になってもすぐに現場に戻っていきます。



 例えば軽い脳梗塞にかかった場合、少し前なら入院治療をし、退院してからも自宅療養をして、ゆっくりと職場に戻っていく、というプロセスを辿っている人が多かったのですが、最近はずい分様子が変わりました。何より、病名を職場に伝えたがらない。病欠を取りたがらない。というより、取れない状況です。今の自分のポストは指定席ではなく、常に誰かに奪われるという恐怖に晒されているのでした。



 こんな時に、退院のための生活指導で「~をしてください。そうしないと、再発しますよ」と言っても、「分かっています。分かってはいますが」という返答が返ってきます。頭では分かっていても、状況がそれを許さない。自分の身を守れる環境にはない、ということです。



 Aさんは、脳梗塞で入院した50代の男性です。幸い症状は軽く、すぐに院内を自由に歩けるようになりました。職場で責任のあるポストについているらしく、常に携帯電話で職場と連絡を取り合い、外出届を出して出勤もしていました。週末に退院することになっていたので、いつから出勤する予定なのか、を確認したところ、当然のことのように「週明けからです」との応答です。Aさんの性急さに不安を覚えながらの終結でしたが、結局3週間後に再発・再入院となりました。手当が早くて適切だったこともあり、この時もそれほど大きな後遺症はなく、Aさんはまた職場に戻って行きましたが、それからの5年間というもの、様々な病気を併発して入退院を繰り返しています。持ち前の根性でその都度荒波を乗り越えてはいますが、さすがに最近は「しんどい」という言葉を口にするようになってきました。一見普通の生活をしているように見えますが、Aさんはブレーキの壊れた車のように、どこかにぶつかるまで自分を止めることができない状態の中で、息切れをしていたのです。私はこれを機にライフ&ワークバランスを考えていただこう、と,5年後のイメージ>を質問しました。その時の答えが「私、生きている気がしない」です。即答でした。思いがけない返答に私は驚いて、家族のこと、仕事のこと、自分自身のこと、など様々な角度から問いかけや提案をしましたが、ネガティブな答えだけが返ってきます。

 その上、「どうしたらいいんでしょう?」と救いを求めてくるばかりで、一歩も進みません。それ以降も、聞いていてもはらはらするような生活習慣は、相変わらずです。



 このような事例は、珍しくありません。「頭では(理屈では)分かっていても、行動が伴わない」。「自分に対して、責任が持てない」。そして、最も多いのが「自分を庇えない状況」。本当にどうしたらいいのか?


 コーチングの書籍には「アンコーチャブルな(コーチングに適さない)人」が紹介されています。Aさんは、その中の「常に否定的に考える人」に該当しますので、クライアントとしては、コーチングの効果が期待できない人かもしれません。でもAさんに限らず、このような人はとても多いのです。


 このようなクライアントを私は「アンコーチャブルな人」ではなく、「アンコーチャブルな状態・状況にある人」と理解するようにしています。「人」に焦点を当てるのではなく、「事柄」に焦点を当てる。これは、コーチングでよく使われている考え方です。そうすることで、「いくら説明しても分からない、理解力のない人」とみなしてしまう自分から自由になれますし、クライアントを受け入れることがよりスムーズになります。結果的に、お話を伺う私の気持ちにも余裕が出てきます。もちろん、これはいつでもできていることではなく、そのように理解できる自分になることを目標にしている、ということで御理解下さい。実際は、感情が伴いますので、難しいことも多いのですが。





 「どうしたらいいんでしょう?」とクライアントが言う時、それを「依存」と解釈するのではなく、また私に答えを求めているのでもなく、自分の中の答えを探しているのだと理解します。「5年先は、生きている気がしない」と言う時、それは決して捨て鉢な意味ではなく、「生きたい」という気持ちの現れ、だと受け止めます。





 近未来的な結果を求めるのであれば「こちらがいくら頑張っても」、クライアントが「何も変わらない」、クライアントを「何も変えられない」ことには、大きな徒労感が伴います。けれどもこちらが求めている「クライアントの改善」は、まだクライアント自身のゴールにはなっていないのかもしれない。そう気がつくと、向き合う態度が前向きになれます。



 今私は、Aさんの「5年先には、生きている気がしない」という言葉と救いを求める目に、何か手掛かりがあるような気がしています。


2011年10月16日日曜日

「死」の非日常化と日常化について


 





1976年を境に在宅死亡者と病院死亡者の比率が逆転してから35年が過ぎた。今や病院死は全死亡数の8割(癌に至っては9割)を超え、人々が生の営みの一部として「死」を実感する機会は極端に奪われている。初めて遭遇するのが「自分の死」という場合もまれではなくなってきている。人々の死は、病院というブラックボックスの中に取り込まれ、非日常的な出来事と化した。片や、ブラックボックス(病院)の中では、「死」が日常化(常態化)している。近代医学はひたすら延命を追い求めたが、その治療の場である病院は「死にゆく場所」として機能するようになった。

 

 国民の6割近くが、在宅で息を引き取りたい、と望んでいるそうだ。それに対して8~9割以上の人が病院で亡くなっていると言う現実。つまり、「在宅で・・・」という人生最後の望みは、ほとんど叶えられていないことになる。これでは怖くて、自分の晩年のことなど正面から考えることもできない。自分には無縁のこととして意識の外に放り出すか、アンチエイジングにいそしみ、PPK(ピンピンコロリ)を望むのが関の山、ということになる。


 85歳の男性が脳梗塞になりリハビリテーションを受けていたが、どうしても自分の足で歩くことができず、車いす生活になることが予想された。ある日、彼は車いすに座りながら、杖で歩行訓練をしている他の患者をじっと見ていた。そして「こんな、こんな病気になるとは思わなかった」と悔し泣きをした。これは「人間、還暦を迎える頃には悟りも開け、どんな運命でも受け入れられるようになるのだろう」と想像していた若輩者の私にとって、大きな衝撃だった。85歳になってもまだ、病気になることも歩けなくなることも予想していなかった。当然目の前の現実を受け入れることもできない。そんな姿が痛ましかった。歩けなくなることが考えられないのであれば、「死ぬ」ことはもっと考えられないことだろう。何故だろう。「人生50年」と謡われていた頃、死はもっと身近な所にあったはずだが、永く生きられるようになるにつれて、人は自分がいずれ「死ぬ」ことを忘れ、あるいは考えないことにしているような気がする。少なくとも私は、自分がいずれ死ぬ、という事実を、このような文章を書いている瞬間でさえ、実感を伴って受け止めてはいない。



 一方、病院死は日常化した。病院の機能分化によってばらつきはあるものの、いずれの病院も10年前と比較して、患者層が高齢化していることは明らかだ。高齢者の入院患者が増える、ということはそのまま退院できないで亡くなる患者が増す、ということにもつながる。あまりにも「看取り」が日常化すれば、医療従事者が自分の、人としての感覚を正常に保つことが、とても難しくなる。緩和ケア病棟などでは、職員のバーンアウトに特別の配慮がされているのだろうか。少なくとも一般病院では、その限りではない。私がここで言いたいのは、クライアントの一回性のライフイベントである「臨終期」への対応には、その病院の「質」が顕著に現れるであろう、ということだ。良くも悪くも、医療従事者はクライアントや家族よりも「看取りの経験」を積んでいることが多い。だからこそ、その場面に立ち会うためのスキルを習得しなければならないのだと思う。私たちの足が自然に遠のく時にこそ、クライアントが、あるいは家族がもっとも不安と孤独を感じているかもしれない。そのような視座を持つことが、死が日常化している病院において、求められているのだと思っている。





311の大震災によって、人々は何の前触れもなく夥しい数の死を目の当たりにすることになった。自然は意識の外にあった死が、避けることのできない運命であることを否応なく突きつけてきた。「死」は被災地で日常化し、私たちに鮮烈に生きることの意味を問うている。

2011年10月8日土曜日

白衣を脱いで黒子になった時


 いつの間にか長くなってしまった職歴の中に、制服(白衣)を脱いだ時期があります。総合病院から単科の精神科へ転向した時でした。全てがゼロスタートだと自分に言い聞かせ、それまでの十数年のキャリアに封印をして、相当の覚悟を持って新しい環境に入りました。そこでは、これまでの知識や経験は全く通用しませんでしたし、予想をはるかに超えた洗礼とカルチャーショックも受けましたが、中でも次の一言は深く胸に刻まれました。

「あなたたちは、治療共同体の一部です。決して『治療者』などという意識は持たないこと。黒子として機能してください」。

 
元々自分はクライアントを「援助する」スタンスにある、と思っていましたので、それまで着ていた「白衣」に特別の思いはありませんでした。ですが、それをたたんで置いてきた途端降ってきた「黒子」という役割によって、私は、自分の中に潜在的にある「療法を行う者」としての意識が思いのほか強かった、ということに気付くのです。それほど「黒子」という強烈な言葉は、私のセルフイメージを決定的にしました。


 
その病院には、創成期から続く治療への確固たる理念と、文化が存在していました。ですからこの言葉も、本当に静かに伝えられましたし、素直に聞くことができました。私服で勤務することになっていましたので、私は黒子であるために、それからずっと黒い服にエプロンをつけて過ごしました。エプロン姿の一人のスタッフとして、他職種とチームを組み、歯車の一つとして機能することを学びました。

 精神科では、クライアントの病態が全く違います。活発にスポーツができ、英会話や茶道もたしなみ、中にはコンピューターのプログラムを組み立てるクライアントもいました。生活のリズムが整わず、適切な人間関係が維持できないために、社会適応ができない人が多かったのです。ですから、それまで慣れ親しんできた身体障害に対するリハビリテーション医学は、ほとんど出番がありませんでした。その代わりに、耳にタコができるほど指摘されたのが「距離感」です。適切な(心的)距離を維持すること。それがクライアント(と自分)を守る最善の法、という方針でした。それは、正直なところ、私にとってはとても窮屈でストレスフルなものでしたが、逆にそれほど厳密にコントロールされた環境下で、自分の言動をチェックする、という良いトレーニングの機会だった、とも言えます。常に意識化しなければ、人と人との適切な関係性は維持できないのだ、ということを、上司の精神科医は繰り返し教えてくれました。




 あとになってよく考えれば、その方針には多少病院としての自己保身的な側面もあったのかもしれません。例えば、デイケアのメンバー同士の恋愛を阻止するなど、がそれに当たります。でも、精神科でなくともクライアントと医療者間の転移・逆転移の課題は存在しますし、リハビリテーションの分野では「身体表現性障害」を抱えたクライアントへの対応に、相当の苦慮をすることが経験されています。その際に担当者は、自分の感情をコントロールしつつ、クライアントとの関係性を維持し続ける困難性を痛感するのです。そのような意味でもやはり「距離感」への認識は、大切な視点でした。



 その後私は精神科を離れ、再び総合病院に身を置いています。以前と違うのは、セラピストがクライアントと無防備に私的な会話をしている様子を見ると、はらはらするようになったことでした。
 彼は、自分がクライアントを見ているつもりで実は評価されていることに気づいているだろうか。クライアントが、どんな願望と期待をもって彼の話に相槌を打っているのか、を考えているだろうか。彼がアイスブレークのつもりでも、クライアントは苦々しさを内に秘めて、しかたなく頷いていることを知っているだろうか、etc・・・・。セラピストは、気をつけているつもりでも、つい、自分の素顔が白衣の隙間から見えてしまうことがあります。どうぞ、「ほほえましい若者」と評価される範囲でありますように。

 まして、自分の内と外を区別する制服(白衣)がない状態で、対人援助をする場合(訪問リハなど)は、よけいに「距離感」を意識することが必要かもしれません。自分を知る鏡(他者の視線)が乏しい環境で、自分の立ち位置を確認する作業は、忙しさの中で、ともすれば後回しになってしまうからです。

 
もちろん、治療的手段として距離を操作する場合は、この限りではありません。以前、ここでセラピストの「タメ口」について触れましたが、今回の「距離感」も、その延長線上のお話です。言わずもがな、の内容を繰り返してしまいましたので、今日はこの辺で。





2011年10月4日火曜日

「ことほどさように」が口癖の医師から


 ある病院での、カンファレンスの時だった。話題は、主治医や看護師の指示を守らない(コンプライアンスの悪い)患者と家族について。


・安静度を守らない
・家族の判断で、勝手に歩行訓練をする
・医療者側の指示を聞かない、etc・・・・・。


 
どうすればいいのか、と、議論はしばらく白熱していた。その場の空気は、「だから、主治医からしっかり説明をして、指示に従うか、それでもなければ、もうここでは対処できないことを伝えてくれればいいのに」という方向に流れていた。




 
患者は脳神経外科で手術をしていたが、予後のはかばかしくない疾患だった。しかも、予想通り運動機能が障害されていた。そのことについて家族は、術前・術後にわたり医師から説明を受けていた。にもかかわらず、まるで何も聞いていないのではないか、と疑いたくなるくらい、全ての説明や指示を無視して、自己判断で患者に歩行練習をさせたり、好きなものを食べさせたりしていた。それは、見ている看護師の方がストレスで参ってしまうような、大変な状態だった。


 
カンファレンスでの議論は、収束の気配を見せない。このままどうなるのだろう・・・・。その時、同席していた若い医師がおもむろに口を開いた。この医師は、時々「ことほどさように」(それほど、の意)と言う。いつもその言葉は、前後の文脈から浮いていて、その場の雰囲気に合わない言葉だった。ただそのミスマッチが、かえってその医師の印象を強めている、そんな効果はあった。とにかく、頭脳明晰でいつも自信に満ちていたその医師が、この時だけはいつもの「ことほどさように」ではなく、こう言った。


「確かに、あの家族は大変だ。医師の指示を守らない。転ぶかもしれないのに、危ない歩かせ方をする。治療食も食べさせないで、患者の好きなものばかり食べさせる。まったく、病院という場所にはなじまない。反治療的な態度ばかりをとっていて、問題だ」。皆は、わが意を得た、と頷いた。
「しかし・・・・・」。次の一言でこのカンファレンスは、あっという間に収束した。


「しかし、奇跡というものは往々にして、そういう家族が起こすものなのだ」。





 
あの病院の脳神経外科は、エリート集団だった。いつでもリーダーシップを取ることができた。その一人の医師の口から、「奇跡」という言葉を聞いた時、私はとても驚いた。「ことほどさように」とは比べ物にならないくらい、似つかわしくない言葉が出てきたような気がした。が、次の瞬間「この医師は、自分の限界をわきまえているのだ」と感じ、深い尊敬の念を覚えた。あの時あの場でその言葉に反論する者は、誰一人としていなかった。






 
あるいは、あの言葉は「恩師」の教えだったのかもしれない。そのくらい、確信に満ちていて、迫力のある言葉だった。本質的な言葉には、力がある。病院という無機質な壁の中で聞いた「奇跡」という言葉。メスを錦の御旗にせず、自分達の力の及ばない領域があることを認識し、その曖昧さの中に身を投じるには、それなりの力が要る。私があの時感じたのは、優秀だがその才能を見せつけるために「ことほどさように」などと言っているように見えた若い医師の、「自分の万能感におぼれてはいけない」という謙虚さだったような気がする。



 
恐らく、メスを握る医師が同じ医療職者に向かって「奇跡」を口にすることには、大きな抵抗があるはずだ。勇気のいることだろう、と思う。あの医師には、それができた、ということである。