2011年10月29日土曜日

コーチングを特徴づけるカウンセリングとの対比から


最近のジャーナルには、コーチングの特集がよく組まれています。結果を出すコミュニケーションスキルとしてコーチングは、今時流に乗っているのかもしれません。その前提のもとに、今回は少し違った切り口からコーチングについて考えてみようと思います。なお、ここでイメージするクライアントとは、「患者さん」を指します。



コーチングを学び始めてから、私にはずっと素朴な疑問がありました。それは「コーチングとカウンセリングとの違いはどこにあるのだろう。そもそも、区別する必要があるのだろうか」というものです。

どちらも、コミュニケーションを手段としてクライアントに働きかけることは同じですし、スキルとして「傾聴」や「共感」を用いるところも似ていますが、この両者の違いはどこにあるのでしょうか。



コーチングの特徴を説明する時にしばしば用いられるカウンセリングとの対比を、いくつかあげてみましょう。



  未来を扱うコーチングと、過去に向かうカウンセリング

  頑張るコーチングと、頑張らないカウンセリング

  健常者へのコーチングと、病者へのカウンセリング

  最短期間で結果を出すコーチングと、時間のかかるカウンセリング



 いずれも、ビジネスコーチングの立場から分かりやすく説明されていますが、改めて書き出してみると、少し一方的な解釈に見えてきます。例えば、化粧品から病者までを対象としている「カウンセリング」の、どの部分と対比しているのかが不明確です。一言で「カウンセリング」と言われても、受け手は様々なイメージを思い描くでしょう。私は、ここでのカウンセリングを「心理療法」と解釈しているのですが、他の人が同じイメージを持っているのかどうか、は分かりません。一方、コーチングにも様々な分野(例:ビジネス、スポーツ、教育、医療、他)や分類(個人、グループ、セルフ、他)がありますから、両者の定義を不明確にしたままこのような対比をしても、あまり意味がない、と言うよりもむしろ、実態とは異なるメッセージを送ることになりはしないか、と(余計なことかもしれませんが)少し危惧しています。
 ビジネスコーチングの分野では、これくらい端的な表現をする方が、コーチングを理解してもらうためには効果的なのかもしれませんが、私は時々臨床の場で、このような二項対立的な表現による不自由さ、言いかえれば上記のような対比によって作り上げられたコーチングのイメージを、窮屈に感じることがあります。例えば、*クライアントがこれから先のことではなく、いつまでも過去の話を続ける時、*クライアントを促進させるのではなく、ブレーキをかける必要性を感じる時、*明らかに抑うつ状態のクライアントに出会った時、などがそうです。このような場合、いつも頭の中では「これは、コーチングの内か外か?」という問いが渦巻いているのですが。



上記①~④に関連して、私がこれまで考えてきたことをまとめてみますと、

①未来を扱うコーチングと、過去に向かうカウンセリング:

全てのカウンセリングが、必ずしも過去を扱うわけではなく、過去を扱う場合でも、最終ゴールが未来に向かうクライアントの成長(未来)にある点では、コーチングと同じ。また、コーチングが過去を扱わない、というのも現実的ではないように思える。両者は共に過去も現在も未来も扱う、のが実態ではないだろうか。恐らく違いは、どこに重点を置くか、だろう。

②頑張るコーチングと、頑張らないカウンセリング:

「頑張る」ことだけがコーチングなら、医療現場の「今は頑張れないクライアント」を対象とすることは難しい。現場では、自ら頑張れないクライアントにこそ、コーチングスキルを駆使したサポートが必要とされているが、その方法には「頑張る」ことへの支援も「頑張らない」ことへの支援も含まれている。さらに、カウンセリングが対象者の「頑張らない」を支援するもの、と言うのは一面的な理解であり、他者から反論されても説明が難しい。これも違いは、どこに重点を置くか、なのだろう。

③健常者へのコーチングと、病者へのカウンセリング:

カウンセリングは病者だけを対象としているのだろうか。かつてアメリカでは、(コーチではなく)カウンセラーを雇うことがステータス、と言われていた時代もあった。日本においでも、カウンセリングの対象者は多岐にわたり、病者であるとは限らない。つまり、カウンセリングの守備範囲はかなり広いことになる。一方、コーチングはどうだろう。少なくとも医療現場の有資格者が行うコーチングの対象者には、患者であるクライアントが組み込まれている。③の対比は、該当しないだろう。



  最短期間で結果を出すコーチングと、時間のかかるカウンセリング:

同じクライアントにアプローチをするなら、カウンセリングよりもコーチングの方が、早く結果を出せる、という意味なのだろうか。もし単純に短い期間の終結をメリットとするなら、時間のかかる事例(例えば、慢性疾患患者)は、コーチングでは扱えないことになる。つまり、コーチングの対象は、短期間に結果の出せる非困難事例だけ、ということになりかねない。これでは、最初から対象者の枠を大幅に狭めてしまう。この対比も、医療の現場にはなじまない。

 もちろん、①~④の対比はコーチングの初学者に向けて、分かりやすくイメージしてもらうために、あえてシンプルに表現したものだ、と思いますから、ここまで取り上げること自体、大げさなことなのかもしれませんが。例えば①~④のコーチングのイメージを切り取って、組み立てるとどうなるでしょうか。



「コーチングとは、心理的に健康で頑張りのきくクライアントに対し、最短期間で最高レベルのゴールに到達することを目指す未来志向型のアプローチ」ということになりそうですが、これでは適用できるクライアントを見つけることがとても難しくなってしまいます。





ではここで対比の話題に一区切りをつけ、「心理的に健康かどうか」という話題からもう少し掘り下げたところの、心理的アセスメントについて考えてみます。

そのクライアントが本当に心理的に健康かどうか、は外観からは分からないことがあります。目標管理に基づくアプローチがストレッサーになっていることを、誰も(当の本人も)知らずに、つぶれてしまってから初めて気がつく、ということも、ないわけではありません。目の前のクライアントには、そのようなリスクが潜んでいるかもしれない、という洞察力をカウンセラー(この場合は、臨床心理士をイメージしています)だけではなく、コーチもベースに持っている必要がある、と思います。ゴールを目指すことだけに重点を置いていると、ともすれば見落としてしまう視点ですし、これはビジネスだけではなくどの分野にでも言えることとして、注意が必要です。このような時には、発せられた言葉だけではなく、沈黙やボディランゲージ等を含む非言語的なコミュニケーションが機能しますが、それでも予測しないことは起こり得ます。コーチングが、クライアントを追い詰めることに加担することのないよう、促進だけではなく抑制の機能も持ち合わせている必要性を感じています。(身近な事例を知っていますので、あえて)。



改めてメディカル・コーチングを考える時、一人のクライアントがコーチャブルになったりアンコーチャブルになったりするのが臨床ですから、その変化に柔軟に対応できるスキルを提供することが、求められていくのだと思います。





かつて担当させていただいたクライアント(健康な社会生活を送っている人)は、コーチングを始めるかなり前からカウンセリングを受けていました。このクライアントとは予め、深層心理の部分はカウンセリングで、現実的な課題はコーチングで、と話し合っていましたが、コーチとの関係性が深まってくると、セッション中に過去のことや心の深い部分に触れることもしばしばあり、終結の時の振り返りでは、お互いに「知的には理解していても、コーチングとカウンセリングの使い分けは難しい」ことを実感したものです。



 

今のところの私の結論は、「臨床におけるコーチングの特性(強み)は、カウンセリングとの対比ではなく、共存の中にあるような気がしている」です。では、この辺で。


2011年10月22日土曜日

5年後は?「私、生きている気がしないんです」


 医学の進歩もさることながら、こんな余裕のないご時世を反映して、働き盛りの人たちは病気になってもすぐに現場に戻っていきます。



 例えば軽い脳梗塞にかかった場合、少し前なら入院治療をし、退院してからも自宅療養をして、ゆっくりと職場に戻っていく、というプロセスを辿っている人が多かったのですが、最近はずい分様子が変わりました。何より、病名を職場に伝えたがらない。病欠を取りたがらない。というより、取れない状況です。今の自分のポストは指定席ではなく、常に誰かに奪われるという恐怖に晒されているのでした。



 こんな時に、退院のための生活指導で「~をしてください。そうしないと、再発しますよ」と言っても、「分かっています。分かってはいますが」という返答が返ってきます。頭では分かっていても、状況がそれを許さない。自分の身を守れる環境にはない、ということです。



 Aさんは、脳梗塞で入院した50代の男性です。幸い症状は軽く、すぐに院内を自由に歩けるようになりました。職場で責任のあるポストについているらしく、常に携帯電話で職場と連絡を取り合い、外出届を出して出勤もしていました。週末に退院することになっていたので、いつから出勤する予定なのか、を確認したところ、当然のことのように「週明けからです」との応答です。Aさんの性急さに不安を覚えながらの終結でしたが、結局3週間後に再発・再入院となりました。手当が早くて適切だったこともあり、この時もそれほど大きな後遺症はなく、Aさんはまた職場に戻って行きましたが、それからの5年間というもの、様々な病気を併発して入退院を繰り返しています。持ち前の根性でその都度荒波を乗り越えてはいますが、さすがに最近は「しんどい」という言葉を口にするようになってきました。一見普通の生活をしているように見えますが、Aさんはブレーキの壊れた車のように、どこかにぶつかるまで自分を止めることができない状態の中で、息切れをしていたのです。私はこれを機にライフ&ワークバランスを考えていただこう、と,5年後のイメージ>を質問しました。その時の答えが「私、生きている気がしない」です。即答でした。思いがけない返答に私は驚いて、家族のこと、仕事のこと、自分自身のこと、など様々な角度から問いかけや提案をしましたが、ネガティブな答えだけが返ってきます。

 その上、「どうしたらいいんでしょう?」と救いを求めてくるばかりで、一歩も進みません。それ以降も、聞いていてもはらはらするような生活習慣は、相変わらずです。



 このような事例は、珍しくありません。「頭では(理屈では)分かっていても、行動が伴わない」。「自分に対して、責任が持てない」。そして、最も多いのが「自分を庇えない状況」。本当にどうしたらいいのか?


 コーチングの書籍には「アンコーチャブルな(コーチングに適さない)人」が紹介されています。Aさんは、その中の「常に否定的に考える人」に該当しますので、クライアントとしては、コーチングの効果が期待できない人かもしれません。でもAさんに限らず、このような人はとても多いのです。


 このようなクライアントを私は「アンコーチャブルな人」ではなく、「アンコーチャブルな状態・状況にある人」と理解するようにしています。「人」に焦点を当てるのではなく、「事柄」に焦点を当てる。これは、コーチングでよく使われている考え方です。そうすることで、「いくら説明しても分からない、理解力のない人」とみなしてしまう自分から自由になれますし、クライアントを受け入れることがよりスムーズになります。結果的に、お話を伺う私の気持ちにも余裕が出てきます。もちろん、これはいつでもできていることではなく、そのように理解できる自分になることを目標にしている、ということで御理解下さい。実際は、感情が伴いますので、難しいことも多いのですが。





 「どうしたらいいんでしょう?」とクライアントが言う時、それを「依存」と解釈するのではなく、また私に答えを求めているのでもなく、自分の中の答えを探しているのだと理解します。「5年先は、生きている気がしない」と言う時、それは決して捨て鉢な意味ではなく、「生きたい」という気持ちの現れ、だと受け止めます。





 近未来的な結果を求めるのであれば「こちらがいくら頑張っても」、クライアントが「何も変わらない」、クライアントを「何も変えられない」ことには、大きな徒労感が伴います。けれどもこちらが求めている「クライアントの改善」は、まだクライアント自身のゴールにはなっていないのかもしれない。そう気がつくと、向き合う態度が前向きになれます。



 今私は、Aさんの「5年先には、生きている気がしない」という言葉と救いを求める目に、何か手掛かりがあるような気がしています。


2011年10月16日日曜日

「死」の非日常化と日常化について


 





1976年を境に在宅死亡者と病院死亡者の比率が逆転してから35年が過ぎた。今や病院死は全死亡数の8割(癌に至っては9割)を超え、人々が生の営みの一部として「死」を実感する機会は極端に奪われている。初めて遭遇するのが「自分の死」という場合もまれではなくなってきている。人々の死は、病院というブラックボックスの中に取り込まれ、非日常的な出来事と化した。片や、ブラックボックス(病院)の中では、「死」が日常化(常態化)している。近代医学はひたすら延命を追い求めたが、その治療の場である病院は「死にゆく場所」として機能するようになった。

 

 国民の6割近くが、在宅で息を引き取りたい、と望んでいるそうだ。それに対して8~9割以上の人が病院で亡くなっていると言う現実。つまり、「在宅で・・・」という人生最後の望みは、ほとんど叶えられていないことになる。これでは怖くて、自分の晩年のことなど正面から考えることもできない。自分には無縁のこととして意識の外に放り出すか、アンチエイジングにいそしみ、PPK(ピンピンコロリ)を望むのが関の山、ということになる。


 85歳の男性が脳梗塞になりリハビリテーションを受けていたが、どうしても自分の足で歩くことができず、車いす生活になることが予想された。ある日、彼は車いすに座りながら、杖で歩行訓練をしている他の患者をじっと見ていた。そして「こんな、こんな病気になるとは思わなかった」と悔し泣きをした。これは「人間、還暦を迎える頃には悟りも開け、どんな運命でも受け入れられるようになるのだろう」と想像していた若輩者の私にとって、大きな衝撃だった。85歳になってもまだ、病気になることも歩けなくなることも予想していなかった。当然目の前の現実を受け入れることもできない。そんな姿が痛ましかった。歩けなくなることが考えられないのであれば、「死ぬ」ことはもっと考えられないことだろう。何故だろう。「人生50年」と謡われていた頃、死はもっと身近な所にあったはずだが、永く生きられるようになるにつれて、人は自分がいずれ「死ぬ」ことを忘れ、あるいは考えないことにしているような気がする。少なくとも私は、自分がいずれ死ぬ、という事実を、このような文章を書いている瞬間でさえ、実感を伴って受け止めてはいない。



 一方、病院死は日常化した。病院の機能分化によってばらつきはあるものの、いずれの病院も10年前と比較して、患者層が高齢化していることは明らかだ。高齢者の入院患者が増える、ということはそのまま退院できないで亡くなる患者が増す、ということにもつながる。あまりにも「看取り」が日常化すれば、医療従事者が自分の、人としての感覚を正常に保つことが、とても難しくなる。緩和ケア病棟などでは、職員のバーンアウトに特別の配慮がされているのだろうか。少なくとも一般病院では、その限りではない。私がここで言いたいのは、クライアントの一回性のライフイベントである「臨終期」への対応には、その病院の「質」が顕著に現れるであろう、ということだ。良くも悪くも、医療従事者はクライアントや家族よりも「看取りの経験」を積んでいることが多い。だからこそ、その場面に立ち会うためのスキルを習得しなければならないのだと思う。私たちの足が自然に遠のく時にこそ、クライアントが、あるいは家族がもっとも不安と孤独を感じているかもしれない。そのような視座を持つことが、死が日常化している病院において、求められているのだと思っている。





311の大震災によって、人々は何の前触れもなく夥しい数の死を目の当たりにすることになった。自然は意識の外にあった死が、避けることのできない運命であることを否応なく突きつけてきた。「死」は被災地で日常化し、私たちに鮮烈に生きることの意味を問うている。

2011年10月8日土曜日

白衣を脱いで黒子になった時


 いつの間にか長くなってしまった職歴の中に、制服(白衣)を脱いだ時期があります。総合病院から単科の精神科へ転向した時でした。全てがゼロスタートだと自分に言い聞かせ、それまでの十数年のキャリアに封印をして、相当の覚悟を持って新しい環境に入りました。そこでは、これまでの知識や経験は全く通用しませんでしたし、予想をはるかに超えた洗礼とカルチャーショックも受けましたが、中でも次の一言は深く胸に刻まれました。

「あなたたちは、治療共同体の一部です。決して『治療者』などという意識は持たないこと。黒子として機能してください」。

 
元々自分はクライアントを「援助する」スタンスにある、と思っていましたので、それまで着ていた「白衣」に特別の思いはありませんでした。ですが、それをたたんで置いてきた途端降ってきた「黒子」という役割によって、私は、自分の中に潜在的にある「療法を行う者」としての意識が思いのほか強かった、ということに気付くのです。それほど「黒子」という強烈な言葉は、私のセルフイメージを決定的にしました。


 
その病院には、創成期から続く治療への確固たる理念と、文化が存在していました。ですからこの言葉も、本当に静かに伝えられましたし、素直に聞くことができました。私服で勤務することになっていましたので、私は黒子であるために、それからずっと黒い服にエプロンをつけて過ごしました。エプロン姿の一人のスタッフとして、他職種とチームを組み、歯車の一つとして機能することを学びました。

 精神科では、クライアントの病態が全く違います。活発にスポーツができ、英会話や茶道もたしなみ、中にはコンピューターのプログラムを組み立てるクライアントもいました。生活のリズムが整わず、適切な人間関係が維持できないために、社会適応ができない人が多かったのです。ですから、それまで慣れ親しんできた身体障害に対するリハビリテーション医学は、ほとんど出番がありませんでした。その代わりに、耳にタコができるほど指摘されたのが「距離感」です。適切な(心的)距離を維持すること。それがクライアント(と自分)を守る最善の法、という方針でした。それは、正直なところ、私にとってはとても窮屈でストレスフルなものでしたが、逆にそれほど厳密にコントロールされた環境下で、自分の言動をチェックする、という良いトレーニングの機会だった、とも言えます。常に意識化しなければ、人と人との適切な関係性は維持できないのだ、ということを、上司の精神科医は繰り返し教えてくれました。




 あとになってよく考えれば、その方針には多少病院としての自己保身的な側面もあったのかもしれません。例えば、デイケアのメンバー同士の恋愛を阻止するなど、がそれに当たります。でも、精神科でなくともクライアントと医療者間の転移・逆転移の課題は存在しますし、リハビリテーションの分野では「身体表現性障害」を抱えたクライアントへの対応に、相当の苦慮をすることが経験されています。その際に担当者は、自分の感情をコントロールしつつ、クライアントとの関係性を維持し続ける困難性を痛感するのです。そのような意味でもやはり「距離感」への認識は、大切な視点でした。



 その後私は精神科を離れ、再び総合病院に身を置いています。以前と違うのは、セラピストがクライアントと無防備に私的な会話をしている様子を見ると、はらはらするようになったことでした。
 彼は、自分がクライアントを見ているつもりで実は評価されていることに気づいているだろうか。クライアントが、どんな願望と期待をもって彼の話に相槌を打っているのか、を考えているだろうか。彼がアイスブレークのつもりでも、クライアントは苦々しさを内に秘めて、しかたなく頷いていることを知っているだろうか、etc・・・・。セラピストは、気をつけているつもりでも、つい、自分の素顔が白衣の隙間から見えてしまうことがあります。どうぞ、「ほほえましい若者」と評価される範囲でありますように。

 まして、自分の内と外を区別する制服(白衣)がない状態で、対人援助をする場合(訪問リハなど)は、よけいに「距離感」を意識することが必要かもしれません。自分を知る鏡(他者の視線)が乏しい環境で、自分の立ち位置を確認する作業は、忙しさの中で、ともすれば後回しになってしまうからです。

 
もちろん、治療的手段として距離を操作する場合は、この限りではありません。以前、ここでセラピストの「タメ口」について触れましたが、今回の「距離感」も、その延長線上のお話です。言わずもがな、の内容を繰り返してしまいましたので、今日はこの辺で。





2011年10月4日火曜日

「ことほどさように」が口癖の医師から


 ある病院での、カンファレンスの時だった。話題は、主治医や看護師の指示を守らない(コンプライアンスの悪い)患者と家族について。


・安静度を守らない
・家族の判断で、勝手に歩行訓練をする
・医療者側の指示を聞かない、etc・・・・・。


 
どうすればいいのか、と、議論はしばらく白熱していた。その場の空気は、「だから、主治医からしっかり説明をして、指示に従うか、それでもなければ、もうここでは対処できないことを伝えてくれればいいのに」という方向に流れていた。




 
患者は脳神経外科で手術をしていたが、予後のはかばかしくない疾患だった。しかも、予想通り運動機能が障害されていた。そのことについて家族は、術前・術後にわたり医師から説明を受けていた。にもかかわらず、まるで何も聞いていないのではないか、と疑いたくなるくらい、全ての説明や指示を無視して、自己判断で患者に歩行練習をさせたり、好きなものを食べさせたりしていた。それは、見ている看護師の方がストレスで参ってしまうような、大変な状態だった。


 
カンファレンスでの議論は、収束の気配を見せない。このままどうなるのだろう・・・・。その時、同席していた若い医師がおもむろに口を開いた。この医師は、時々「ことほどさように」(それほど、の意)と言う。いつもその言葉は、前後の文脈から浮いていて、その場の雰囲気に合わない言葉だった。ただそのミスマッチが、かえってその医師の印象を強めている、そんな効果はあった。とにかく、頭脳明晰でいつも自信に満ちていたその医師が、この時だけはいつもの「ことほどさように」ではなく、こう言った。


「確かに、あの家族は大変だ。医師の指示を守らない。転ぶかもしれないのに、危ない歩かせ方をする。治療食も食べさせないで、患者の好きなものばかり食べさせる。まったく、病院という場所にはなじまない。反治療的な態度ばかりをとっていて、問題だ」。皆は、わが意を得た、と頷いた。
「しかし・・・・・」。次の一言でこのカンファレンスは、あっという間に収束した。


「しかし、奇跡というものは往々にして、そういう家族が起こすものなのだ」。





 
あの病院の脳神経外科は、エリート集団だった。いつでもリーダーシップを取ることができた。その一人の医師の口から、「奇跡」という言葉を聞いた時、私はとても驚いた。「ことほどさように」とは比べ物にならないくらい、似つかわしくない言葉が出てきたような気がした。が、次の瞬間「この医師は、自分の限界をわきまえているのだ」と感じ、深い尊敬の念を覚えた。あの時あの場でその言葉に反論する者は、誰一人としていなかった。






 
あるいは、あの言葉は「恩師」の教えだったのかもしれない。そのくらい、確信に満ちていて、迫力のある言葉だった。本質的な言葉には、力がある。病院という無機質な壁の中で聞いた「奇跡」という言葉。メスを錦の御旗にせず、自分達の力の及ばない領域があることを認識し、その曖昧さの中に身を投じるには、それなりの力が要る。私があの時感じたのは、優秀だがその才能を見せつけるために「ことほどさように」などと言っているように見えた若い医師の、「自分の万能感におぼれてはいけない」という謙虚さだったような気がする。



 
恐らく、メスを握る医師が同じ医療職者に向かって「奇跡」を口にすることには、大きな抵抗があるはずだ。勇気のいることだろう、と思う。あの医師には、それができた、ということである。