最近のジャーナルには、コーチングの特集がよく組まれています。結果を出すコミュニケーションスキルとしてコーチングは、今時流に乗っているのかもしれません。その前提のもとに、今回は少し違った切り口からコーチングについて考えてみようと思います。なお、ここでイメージするクライアントとは、「患者さん」を指します。
コーチングを学び始めてから、私にはずっと素朴な疑問がありました。それは「コーチングとカウンセリングとの違いはどこにあるのだろう。そもそも、区別する必要があるのだろうか」というものです。
どちらも、コミュニケーションを手段としてクライアントに働きかけることは同じですし、スキルとして「傾聴」や「共感」を用いるところも似ていますが、この両者の違いはどこにあるのでしょうか。
コーチングの特徴を説明する時にしばしば用いられるカウンセリングとの対比を、いくつかあげてみましょう。
① 未来を扱うコーチングと、過去に向かうカウンセリング
② 頑張るコーチングと、頑張らないカウンセリング
③ 健常者へのコーチングと、病者へのカウンセリング
④ 最短期間で結果を出すコーチングと、時間のかかるカウンセリング
いずれも、ビジネスコーチングの立場から分かりやすく説明されていますが、改めて書き出してみると、少し一方的な解釈に見えてきます。例えば、化粧品から病者までを対象としている「カウンセリング」の、どの部分と対比しているのかが不明確です。一言で「カウンセリング」と言われても、受け手は様々なイメージを思い描くでしょう。私は、ここでのカウンセリングを「心理療法」と解釈しているのですが、他の人が同じイメージを持っているのかどうか、は分かりません。一方、コーチングにも様々な分野(例:ビジネス、スポーツ、教育、医療、他)や分類(個人、グループ、セルフ、他)がありますから、両者の定義を不明確にしたままこのような対比をしても、あまり意味がない、と言うよりもむしろ、実態とは異なるメッセージを送ることになりはしないか、と(余計なことかもしれませんが)少し危惧しています。
ビジネスコーチングの分野では、これくらい端的な表現をする方が、コーチングを理解してもらうためには効果的なのかもしれませんが、私は時々臨床の場で、このような二項対立的な表現による不自由さ、言いかえれば上記のような対比によって作り上げられたコーチングのイメージを、窮屈に感じることがあります。例えば、*クライアントがこれから先のことではなく、いつまでも過去の話を続ける時、*クライアントを促進させるのではなく、ブレーキをかける必要性を感じる時、*明らかに抑うつ状態のクライアントに出会った時、などがそうです。このような場合、いつも頭の中では「これは、コーチングの内か外か?」という問いが渦巻いているのですが。
ビジネスコーチングの分野では、これくらい端的な表現をする方が、コーチングを理解してもらうためには効果的なのかもしれませんが、私は時々臨床の場で、このような二項対立的な表現による不自由さ、言いかえれば上記のような対比によって作り上げられたコーチングのイメージを、窮屈に感じることがあります。例えば、*クライアントがこれから先のことではなく、いつまでも過去の話を続ける時、*クライアントを促進させるのではなく、ブレーキをかける必要性を感じる時、*明らかに抑うつ状態のクライアントに出会った時、などがそうです。このような場合、いつも頭の中では「これは、コーチングの内か外か?」という問いが渦巻いているのですが。
上記①~④に関連して、私がこれまで考えてきたことをまとめてみますと、
①未来を扱うコーチングと、過去に向かうカウンセリング:
①未来を扱うコーチングと、過去に向かうカウンセリング:
全てのカウンセリングが、必ずしも過去を扱うわけではなく、過去を扱う場合でも、最終ゴールが未来に向かうクライアントの成長(未来)にある点では、コーチングと同じ。また、コーチングが過去を扱わない、というのも現実的ではないように思える。両者は共に過去も現在も未来も扱う、のが実態ではないだろうか。恐らく違いは、どこに重点を置くか、だろう。
②頑張るコーチングと、頑張らないカウンセリング:
②頑張るコーチングと、頑張らないカウンセリング:
「頑張る」ことだけがコーチングなら、医療現場の「今は頑張れないクライアント」を対象とすることは難しい。現場では、自ら頑張れないクライアントにこそ、コーチングスキルを駆使したサポートが必要とされているが、その方法には「頑張る」ことへの支援も「頑張らない」ことへの支援も含まれている。さらに、カウンセリングが対象者の「頑張らない」を支援するもの、と言うのは一面的な理解であり、他者から反論されても説明が難しい。これも違いは、どこに重点を置くか、なのだろう。
③健常者へのコーチングと、病者へのカウンセリング:
③健常者へのコーチングと、病者へのカウンセリング:
カウンセリングは病者だけを対象としているのだろうか。かつてアメリカでは、(コーチではなく)カウンセラーを雇うことがステータス、と言われていた時代もあった。日本においでも、カウンセリングの対象者は多岐にわたり、病者であるとは限らない。つまり、カウンセリングの守備範囲はかなり広いことになる。一方、コーチングはどうだろう。少なくとも医療現場の有資格者が行うコーチングの対象者には、患者であるクライアントが組み込まれている。③の対比は、該当しないだろう。
④ 最短期間で結果を出すコーチングと、時間のかかるカウンセリング:
同じクライアントにアプローチをするなら、カウンセリングよりもコーチングの方が、早く結果を出せる、という意味なのだろうか。もし単純に短い期間の終結をメリットとするなら、時間のかかる事例(例えば、慢性疾患患者)は、コーチングでは扱えないことになる。つまり、コーチングの対象は、短期間に結果の出せる非困難事例だけ、ということになりかねない。これでは、最初から対象者の枠を大幅に狭めてしまう。この対比も、医療の現場にはなじまない。
もちろん、①~④の対比はコーチングの初学者に向けて、分かりやすくイメージしてもらうために、あえてシンプルに表現したものだ、と思いますから、ここまで取り上げること自体、大げさなことなのかもしれませんが。例えば①~④のコーチングのイメージを切り取って、組み立てるとどうなるでしょうか。
もちろん、①~④の対比はコーチングの初学者に向けて、分かりやすくイメージしてもらうために、あえてシンプルに表現したものだ、と思いますから、ここまで取り上げること自体、大げさなことなのかもしれませんが。例えば①~④のコーチングのイメージを切り取って、組み立てるとどうなるでしょうか。
「コーチングとは、心理的に健康で頑張りのきくクライアントに対し、最短期間で最高レベルのゴールに到達することを目指す未来志向型のアプローチ」ということになりそうですが、これでは適用できるクライアントを見つけることがとても難しくなってしまいます。
ではここで対比の話題に一区切りをつけ、「心理的に健康かどうか」という話題からもう少し掘り下げたところの、心理的アセスメントについて考えてみます。
そのクライアントが本当に心理的に健康かどうか、は外観からは分からないことがあります。目標管理に基づくアプローチがストレッサーになっていることを、誰も(当の本人も)知らずに、つぶれてしまってから初めて気がつく、ということも、ないわけではありません。目の前のクライアントには、そのようなリスクが潜んでいるかもしれない、という洞察力をカウンセラー(この場合は、臨床心理士をイメージしています)だけではなく、コーチもベースに持っている必要がある、と思います。ゴールを目指すことだけに重点を置いていると、ともすれば見落としてしまう視点ですし、これはビジネスだけではなくどの分野にでも言えることとして、注意が必要です。このような時には、発せられた言葉だけではなく、沈黙やボディランゲージ等を含む非言語的なコミュニケーションが機能しますが、それでも予測しないことは起こり得ます。コーチングが、クライアントを追い詰めることに加担することのないよう、促進だけではなく抑制の機能も持ち合わせている必要性を感じています。(身近な事例を知っていますので、あえて)。
改めてメディカル・コーチングを考える時、一人のクライアントがコーチャブルになったりアンコーチャブルになったりするのが臨床ですから、その変化に柔軟に対応できるスキルを提供することが、求められていくのだと思います。
かつて担当させていただいたクライアント(健康な社会生活を送っている人)は、コーチングを始めるかなり前からカウンセリングを受けていました。このクライアントとは予め、深層心理の部分はカウンセリングで、現実的な課題はコーチングで、と話し合っていましたが、コーチとの関係性が深まってくると、セッション中に過去のことや心の深い部分に触れることもしばしばあり、終結の時の振り返りでは、お互いに「知的には理解していても、コーチングとカウンセリングの使い分けは難しい」ことを実感したものです。
今のところの私の結論は、「臨床におけるコーチングの特性(強み)は、カウンセリングとの対比ではなく、共存の中にあるような気がしている」です。では、この辺で。