かなり前のことですが、セラピストと患者さんのこんな会話が耳に入ってきました。
セラピスト「今の若い人は、高い税金を取られて、年金だって払った分もらえない。人間、50歳くらいで死ねるのが一番いいよね」。
患者「・・・・・・」(何と応答したのか、しなかったのか、聞こえませんでしたが)。
セラピストは30代。患者さんは70代です。何故そんな会話に行きついたのか、前後の文脈は分かりません。けれども、当の患者さんや周囲にいる人たちに、どれだけこの言葉がダメージを与えたのか、を考えると憤りを覚えました(当然、厳重に注意をしましたが)。
話した本人は、最初注意された意味が分からなかったようです。気心の知れた患者と雑談のついでに「本音」を語った、といった風で、注意されたことに対してそれほどピンときているようには見えませんでした。不真面目に仕事をしているわけでもありません。むしろ、よく機転が利いてチームへの貢献もできる人です。
一瞬の出来事でしたが、今でも時々思い出します。そこには、いくつかの課題がありました。
*患者とセラピストの距離の問題:
同じ患者と長く関わることによって、セラピストは適切な距離を維持することが困難になり、つい素顔(本音)が出てしまう。それがメリットになることもありますが、この場合はデメリットになっています。気を許しすぎて立場を忘れ、言ってはいけないことを言っていることにも気付いていない。
このような2者関係は、長期的な関わりの中で起こりがち。今後、介護保険分野でリハビリテーションの人的資源が潤沢になり、期限にも縛られず、他者の目も届かない状況下(在宅療法など)では、ますます2者間の距離を維持するためのスキルが必要になる、と予想しています。
*周囲への影響:
周囲とはたとえば、常連客が指定席に座り店主を独占しているお店に入った一見客、のような存在。この一見客の疎外感を、店主は意識しているのかいないのか。なじみのうすい患者は、同じ時間と空間で、セラピストの対応が微妙に違うことを敏感に察知していますが、セラピストは案外意識していない。
質の高いホスピタリティとは、クライアントに対して差別観や疎外感を与えないこと。これを実現させるには、ハード・ソフト両面での様々な条件を整える必要があります。すでに接遇マナーをはじめとする取り組みはされていますが、それだけでは十分ではないことを、改めて知る機会となりました。
*リーダーとしての気づき:
#1.彼らが今置かれているこの閉塞感に満ちた状況に、どれほどストレスを感じているか、は日々耳に入っていました。が、この様子では、臨床の場で本人も気がつかずに発散をしている可能性があります。「理想」と「現実」には当然ギャップがあります(理想と現実は「建て前」と「本音」とも言える)。本人が、自分の無意識の感情をキャッチしていないこともありますので、リーダーがこのギャップを知り、フィードバックをすることが必要です。
#2.一方で、セラピストのストレスレベルとコントロール能力は、どのくらいあるのでしょうか。思ってもいない言葉が口から出たり、言ってはいけない、と分かっていても抑えきれないこともあります。このような時、本人には、プライベートな問題があるのかもしれないし、職場への不満があるのかもしれない。そもそも、仕事に対する価値観が違うのかもしれない。将来への不安がそうさせるのかもしれない。どれもが当てはまるような気もします。様々な仮説を立て、時を変え、場面を変えて検証をする。少なくともそうしている間は、短絡的な評価を下さずにすみます(かなりエネルギーの要ることですが)。
*あれから:
あの時は厳重注意をしましたが、それだけでは根本的に何も変わりません。注意するだけで改善するような、ケアレスミスではないからです。詳しいことは省略しますが、その後、セラピストに伝わった、と感じられたのは「共感」と「承認」から出た言葉でした(それができたのは、しばらくたってからですが)。
今でも、あの時にセラピストの口から出たのは、単なる個人的な本音ではない、と思っています。同世代の人たちが、多かれ少なかれ抱いている気持ちを率直に口にしたのでしょう。とはいえ、井戸端会議で好きなことをしゃべってストレスを発散するのと、この場合ではわけが違います。対人援助を旨とする専門職としても、職場の理念からも、そのような言動を許容することはできませんから、同じような場面に遭遇した時は、指導をしていきます。
ただ、誤解を恐れずに言えば、「思ってはいけない」のではなく、自分の本音に対して自覚的であることが、セルフコントロールには大切です。これは、口で言うほど簡単なことではありませんが。さらに、表出する時と場を心得ることが「社会人としてのファウンデーション(土台)」です。簡単に身につけることはできないにしても。
様々な経験の中で醸成されていく価値観や、死生観があります。5年先、10年先に、冒頭のセラピストが患者さんとどんな会話をしているのだろう、と楽しみにしています。