2012年7月29日日曜日

10年後のコミュニケーションスキル


 ここ数年、私が勤務している病院ではリハスタッフが、かなり頑張って実

習生を引き受けてきました。そして異口同音に「話が伝わらない」「指導

が、活かされない」「こちらの話を聞いているのかどうか、分からない」と悩

んでいました。取り立てて問題のある学生はいませんでしたが、とにかく

最低限の課題すらしてこない、とスーパーバイザーをはじめ関係スタッフ

は頭を抱えていたのです。課題が多いのではなく、むしろ「これ以上、削る

ところがない」くらい減らしているのに、何故あっけらかんと「できませんで

した」と言えるのか理解できず、どのように本人とコミュニケーションを取れ

ばいいのか、困っていました。



 

 リハビリテーションの分野では、指導者自身が若いことも多く、実習シス

テムが看護教育と比べて未整備ですので、現場での試行錯誤はもう少し

続くでしょう。そのような中で、最近は学生の臨床実習をより良いものにす

るため、メディカルコーチングやクリニカルクラークシップなどの様々な取

り組みが紹介されるようになってきました。ともあれ、「ゆとり教育世代」と

言われる学生には、養成校も現場もこれまでとは違った対応を迫られて

いるようです。

 


 ところで、上記のようなことは、これまでにも色々なところで書かれている

と思いますので、今日は少し視点を変えてみましょう。



 これから10年後のことについて。



今でも、わずか数年前まで学生だった現場のスタッフと現役学生との間

にはディスコミュニケーションが生じています(ちなみに、ディスコミュニ

ケーションは和製英語なのだそうですね)。今の学生が臨床現場に出た

10年後、先輩後輩のジェネレーションギャップが埋まっていれば良いの

ですが、逆にコミュニケーションが取れない状態になってはいないか、と

少し心配もしています。



もっと気になるのが、クライアントとのギャップです。10年後と言えば、

高齢化社会もピークを迎え、対象のクライアントの多くは80代以上とな

ります。団塊の世代も、リハビリテーションの対象年齢になります。この

世代には高学歴者が多く、主張するべきことははっきりと主張しますし、

筋の通っていないことには断固として抗議をしてくるでしょう(何しろ、学

生運動で世の中を動かした世代ですから)。
 

セラピストには、専門知識や高い手技を発揮する前提として、クライアン

トとラポールを形成し、ニーズを把握しゴールを設定して、クライアントの

潜在能力を引き出すためのコミュニケーションスキルが必須となります。

今から、備えておく必要があるでしょう。「そんな基本的なことは、とっく

に習得している」と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、この

点に関しては自己評価よりも他者評価の方が厳しいことが多いのです。

私たちが挨拶程度のことをして応答があったから、と言ってそれはラポ

ールが形成された、とは言えません(クライアントの方がリップサービス

をしてくれていることもあります)。





今、手元に「10年後に食える仕事、食えない仕事」(渡邊正裕)という本

があります。内容はまさしくタイトル通り。職種によって、人件費の安い

外国に労働市場がすぐにでも移転するものと、しないものがある。医療

職が安泰か、と言えばそうでもない。医師や薬剤師など、日本語での高

いコミュニケーションスキルを必要とする職種は食べていけるが、この本

によればナースも外国人ナースにとって代わられる可能性がある、との

こと。そう言えば、今は国策としてフィリピンなどから看護師候補者を受

け入れている状況ですから、この情報には信ぴょう性があります。


 では、私たちの職種はどうでしょう。日本人のクライアントを対象としてい

ても、言葉以外のボディランゲージである程度意志伝達が図れる仕事

で、そもそも私たちの母国語でのコミュニケーションスキルが低ければ、

いつ外国人セラピストに参入されても不思議はありません。クライアント

が高齢で認知症の場合、セラピストが日本人でなくとも共感能力が優

れていれば、ノンバーバルコミュニケーションを駆使することで、ディスコ

ミュニケーションを克服できるからです。





例えば、これまでネイティブスピーカーとのリアルな英会話学習はとても

高額でしたが、今はスカイプを使うことで、フィリピンの優秀な大卒者を

相手にいつでもリーズナブルに英会話が学べます(詳しくは、ネットで

「レアジョブ」を検索してください)。同じスキルなら、リーズナブルな方が

選ばれるのは自然のこと。



あえて、自分に聞いてみましょう。自分の仕事は、日本語でなければ伝

わらないのだろうか。メラビアンの法則によれば、バーバルコミュニケー

ションはコミュニケーションの7%にすぎません。あとは、ノンバーバルコ

ミュニケーション・ボディランゲージで伝わるものです。そもそも、日本の

リハビリテーションは英語圏から輸入されたものですし。私たちのライバ

ルは、急激に増えている同業他者ですか。それとも他職種ですか。私

は、ここに外国人のセラピストも入れておいた方が良いのでは、と思って

いますが。





こうしてみると、いつまでも、内輪で「ディスコミュニケーション」に悩んで

いる場合ではないような気がしてきます。

                                                                                           


2012年7月8日日曜日

~被災したNさんとのコーチング~


 「津波は、何もかも全部持って行ってしまった。家族が一人犠牲になったし、私たちも一ミリでもどちらかにずれていたら確実に死んでいた。そういう生死のぎりぎりのところを通り過ぎて、あれから色々あったし今も大変だけれど、だからこそ物ではなく、生きてさえいれば、家族と仲良く暮らすことさえできれば、という本当に大切なものが見えてきた」。



これは被災したNさんが、最後のセッションでお話された内容の一部です。とても力強い言葉でした。ご本人の承諾を得てご紹介しています。



コーチングを開始したのは、震災から1年後です。Nさんは仮設住宅に住みながら、子育てと仕事のことで迷っていました。復職したいけれど、震災の時の恐怖を思うと、子どもを他人の手に託して働くことができない、というのです。先のことを考えたいけれど、思考が停止して何も手につかない、という状態でした。

 オリエンテーションの時にNさんが決めたゴールは、「3ヶ月後に、何かができていること」です。漠然としたゴールのようですが、思考停止の状態から「何かが」実現しているという状態になるには相当のプロセスが必要ですので、決して甘いゴールではありませんでした。



 そして、3か月間。Nさんは、コーチングセッションを軸にして、それまで棚上げしていた「自分のことをじっくり見つめる」「やり残してきた過去を整理する」「具体的な活動をする」「やりたいことと現実との調整をする」などを着実に進めてきました。元々自我の強固な方ですしスキルも高かったので、どんどんやりたいことの計画が進むような時期もありました。でもNさんには、冒頭の「何が一番大切なことか」を見失わない賢明さが備わっていましたので、今はご家族との生活を大切にしながら、できることをできる範囲で進めていこう、というところに着地しています。





 コーチングには適応範囲があります。例えば、「うつ」はアンコーチャブルと言われていますし、緊急時にはコーチングよりも指示命令が必要です。何も知識のない段階での新人教育には、コーチングよりもティーチングが機能します。そしてNさんのように震災から1年が過ぎ、いよいよ現実との直面化が必要になった段階では、コーチングが機能する可能性が高くなります。私がNさんにカウンセリングよりもコーチングの適応があると判断したのは、震災から1年が経過していたこと(緊急時ではない時期)と、Nさんには直接コーチング依頼のアクションを起こすだけの行動力があったから、でした。その判断は間違っていなかった、と思います。



Nさんに、最後のセッションで伺いました。

Nさんにとって、コーチングはどのように機能しましたか」。



Nさんは「この時間は、自分のことだけを集中して考えられる大切な時間だった。私にコーチングは合っていた」。「自分にとって大切なものが、シンプルに見えてきた」。「自分の気持ちを言葉にできるようになって、自信がついてきた」etc・・・・。



Nさんの答えを聞きながら私は、「コーチングの構造」について考えました。構造とは、クライアントとコーチが、最初にコーチングのコンプライアンスに関する確認をして契約書を交わし、セッションの時間と方法を決め、お互いの役割を明確にすることです。その構造そのものが、クライアントにとっては「安全で守られた環境」になります。

Nさんは、コーチングの契約がなされた段階で「これで、ゆっくり眠ることができます」と言っていました。そしてかなりの安心感を持ち、自分との対話を続けていくことができました。



「守秘義務」が約束された環境は、私たちが想像する以上に意味のあるものです。特に、今回のような大きな震災では多くの人が被害を受けていますので、自分の個人的な悩みや相談を周囲に話すことができません。ですから「どのような人にコーチングが適するのか」の答えを私はまだ出せないでいますが、愚痴をこぼすことができないリーダーシップを取る立場の方、とか、「ケアする人」をケアするためにはきっと機能するだろう、と考えています。





エリザベス・キューブラロスは「死の受容過程」のプロセスを説きましたが、被災者にも特有の心理過程がある、と言われています。東京都立中部総合精神保健福祉センターによると、被災者の心理は『茫然自失期(災害直後)』『ハネムーン期』『幻滅期』『再建期』と4つのステージをたどるとのこと。(http://bit.ly/gmFVUN)。クライアントによって個人差があることを前提の上で、それぞれのステージに応じたコーチングの仕方があるのではないか、というのが今のところの私の考え方です。もし、またNさんとのコーチングが再開したら、今度はずい分印象の違ったセッションになるでしょう。



最後に。Nさんとのコーチングに、特別なことは何もありませんでした。つまり、「被災者だから」とか「被災したから」といった理由で特別の配慮が必要だったわけではない、ということです。私はいつも、クライアントにはスキルが要る、と思っています。それは「コーチと対等でいる」ことと「自分に向き合うことのできる」スキルです。そして、Nさんにはそのスキルが備わっていました。それが、特別の配慮を必要としなかった理由です。







Nさんは今ソーシャルメディアを通じて、活発に自己発信をしています。彼女の主旨に賛同する人も多いとのこと。私も応援しています。





Nさんの活動: http://kozakana3.kinugoshi.net/