2011年9月25日日曜日

「患者様」と「タメ口」と距離のこと



 最近(というより、かなり前から)、医療従事者がクライアントのことを「患者様」と呼ぶようになった。セラピストが学会発表の場で、「患者様」と口述発表することも珍しくない。社会人としての第一段階で、接遇研修などを通じてそのように教育されているのだろう。セラピストはこの言葉を使うことに、取り立てて抵抗を感じてはいないようだ。一方で今でもクライアントと「タメ口」で会話をしている所もある、と聞く。ちなみに、タメ口の意味は、以下の通り。



 タメ口とは「対等」「同じ」を意味する俗語『タメ』に『口(口ぶり)』をつけたもので、対等な言葉使い、つまり友達口調を意味する(日本語俗語辞書より)


 「患者様」にも「タメ口」にも、セラピストとクライアントの関係性が如実に表れている。とても気になる部分だ。一見双方の態度には大きな隔たりがあるようだが、クライアントとセラピストが対等ではない、という意味においては同じである。どちらも両者が、各々の役割を踏まえた上で対等な立場であれば、出てこない言葉のような気がする。

 

 医師が学会発表をする場合、「患者様」と表現している場面が思い当たらない(中にはあるのかもしれませんが)。多くは匿名のイニシャルに「さん」をつけるか、「患者」あるいは「患者さん」と呼んでいる。医師はクライアントの呼び方を自分で選択しているのだろう。医師の仕事の多くは決定と指示にあるが、それでも最近はトップダウンの物言いでは、クライアントに受け入れられないし効果的でもない、というエビデンスが出てきた。治療効果を最大限に上げるために、医師も「コミュニケーションスキル」(コーチング、など)を学び始めている、と聞く。ところでセラピストは「患者様」という呼び方を、自分で選択しているのだろうか。



 同じセラピストでも起業家の場合、クライアントに対する自分の立ち位置を自覚した上で、「患者様」と呼ぶことには聞いていて抵抗がない。何故だろう。この場合は、使う人が自分で言葉を選んでいる。自分が提供するサービスの一貫として、その言葉を主体的に使っている。ホテルや銀行で従業員の口からなめらかに「お客様」という言葉が出てくるのと似ている。つまり言動が一致している、ということだろう。

 

 「タメ口」には「対等」とか「同じ」という意味があるが、この言葉を使っているセラピストからは、クライアントと適切な距離や「礼節」が保たれている、ようには感じられない。なれあい、なぁなぁ、という緊張感の抜けたイメージが浮かぶ。もちろん治療場面において、「タメ口」が最も効果を上げる適切な表現である、という自覚的な判断の下に使用している場合は、別ですが。ただ、自覚的に、あえて基本をはずしてまで「タメ口」を使える場面は、そんなに多くはない、のでは? しかも、「効果的」と思っているのはセラピストの側だけで、果たしてクライアントはどう思っているのか。(ご興味のある方は、「リハビリの結果と責任」<池ノ上寛太>などが参考になるかもしれません)。



 以下は、私の中にある数々の苦い経験のひとつ。



 以前(の話、が多くて恐縮ですが)、また若くて(?)世間知らずの私は、自分とクライアントが同じ目標を目指して頑張っている、と思い込んでいた。自分の誠意は通じているし、だからこそクライアントもあれだけ一生懸命私の立てたプログラムに従って、課題に取り組んでいてくれる。そんな思い込みがとんでもない勘違いであることに気付いたのは、ある風景を見た時だった。その頃は、まだ院内に喫煙所が設けられていた(どれだけ昔の話?)。ある日の夕方、偶然その喫煙所の側を通った私は、そこで文字通り車座になった車椅子集団(脊髄損傷の人たち)が、ゆっくりと煙草をくゆらせているところに遭遇した。いつもの日常の風景だったが、私はその時はっとした。「全然違う・・・・・・」。

 リハ室や病室でのいつもの顔とは、全く違う。たとえて言えば、役者が舞台を降りて化粧を落とした時の、放心しているような顔に見えた。車座の集団は、お互いに言葉を交わすわけでもなく、ただ不自由な手で(頚損の人もいました)煙草の火を分け合っていた。その場を流れていた不思議な連帯感は、それまでに知ることのできないものだった。

 それまでの私は、クライアントとの距離を自分からこれ以上ないくらい接近させ(たつもりで)、気持ちの上では「タメ口」をたたき続けていた。しかも、上から目線で。それを、私は「対等な立場」と勘違いし、クライアントが「いやです」とは言えない立場であることに、気づいていなかった。あの風景は、一瞬でそのことを教えてくれたような気がする。



 対等な関係性とは、本当に難しい。私が「患者様」と呼ぶ時の目線は、クライアントと同レベルだろうか。恐らく違う。使う言葉は適切な距離感を表現しているだろうか。クライアントのテンションに私のペースは合っているだろうか。合わせるだけではなく、必要な時クライアントのテンションを上げるために、私は自分のトーンをどのようにコントロールしているのだろうか。クライアントの話は、聴けているだろうか。アイスブレークのつもりで、実は自分の話を聞かせていないだろうか。聞き役はどちらだったのか。


 「治療的道具」としての自分に、自覚的であること。道具は、磨き続けなければ錆びてしまうこと。そして、自分の姿は他者という「鏡」を使わなければ、容易につかむことができない、ということ、を折に触れて自分に言い聞かせている。一生手入れの要らない、錆びない道具になれたら、どんなに楽だろうか、と思いながら。



 最近は、コミュニケーションスキルが、国家試験の問題にも登場するようになったそうですね。今一度、「患者様」と呼ぶ時の自分の心性(心の在り方)を、考えてみませんか。ちなみに、タメ口は、原則NGです。

 

2011年9月18日日曜日

「熟練の煉獄」について

 

 今日参加した研修で、大変インパクトのある言葉を聞きました。「熟練の煉獄」です。調べてみると、福島真人が『暗黙知の解剖-認知と社会のインターフェイス』の中で説明している言葉のようです。内容は以下の通り。



 複雑な仕事がくり返され、注意深くやっていた仕事が、いつしかルーチンになって、身体の知として行われる。それは仕事のショートカットであり、儀礼化でもあり、効率的になるけれど、環境が変わるとお手上げにもなる。「訓練された無能」といわれるこうした現象を、「熟練の煉獄」と呼ぶ。



 リハビリテーションの専門職も熟練になって自分なりの方法を身につけると、いちいち頭で考えなくとも体が自然に動いてくれます。そうすれば、効率的なルーティンワークができる。なので、その先は学ぶことを止めてしまう人が多い、とのこと。専門職が熟練と呼ばれるには、10000時間、とも10年とも言われる時間が必要です。しかし、ようやくその域に達した、とは言ってもそこで学ぶことを止めてしまって、それからの環境の変化に対応できるのでしょうか。今、私たちの置かれている状況や立場は激変しています。



 この現象の課題は、「熟練」のその先に目標が見えないことなのかもしれません。何となく「先が見えてしまったような気がする」。でも、本当は「具体的な目標が見えない」。だから、「学ぶことの意味が分からない」。そして「学ぶことを止める」という流れが見えてきます。



実は、こんな状況だからこそマネージャークラスの「学び続けている人材」が貴重であり、求められています。経験年数10年目くらいの転職は、転職先を探すのに大変苦労する、と聞きました。一方で現場もそのくらいの経験を持った「有能な人」が欲しいのです。このような現場のニーズに応えられるようになることを、目標の一つにしてもいいのかもしれません。その上、目標を持って学び続けていれば、環境の変化にも対応できるはずです。「熟練の煉獄」から、自由になりたいと思います。



今日の終わりに、私の好きな言葉を二つ。自戒を込めて。



・「最も強いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残る」(ダーウィン)

・「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」(リクルート:江副)


2011年9月11日日曜日

「エリザベス・キューブラ・ロスの晩年」

 
 「死の受容の五段階」で著名なエリザベス・キューブラ・ロス博士の晩年は、脳卒中の発作を繰り返して左半身麻痺になり、アリゾナ州の砂漠の一軒家で一人暮らしをする、というひっそりとしたものだった。また、読者からの手紙など読むのもいや、と言い、人生における成功など全く無意味だ、と笑ったそうだ。それまでの聖女のイメージを裏切るかのような晩年のロスを知った時、私は意外なことの展開に驚くとともに、心のどこかで納得もしていた。



 「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の5段階から成るロスの「死の受容過程」を必死に学んだのは、初めて終末期のクライアントを担当した頃だった。この時、何の手立ても持ち合わせていない私にとっては、ロスの理論が唯一の手掛かりだったが、結果的にこれは私のクライアントにそぐわなかった。何故ならその人は、最初から全てを受容していたかのように、いつも穏やかに淡々と過ごしていたからである。大学を卒業したばかりで、私よりもずっと若い女性が、その病気のためにフィアンセから何から全てを失ったのにもかかわらず、何故あのように端然と生きていられたのかは今でも分からない。心肺停止状態になってからは、気管切開をしたために言葉を発することもできなくなった。にもかかわらず、彼女は自分の心の葛藤を表出することなく、いつも同じように私たちを迎え、受け入れ、見守っていてくれた。あれからずい分時が過ぎたが、今でもあの頃の彼女のイメージは私の中で変わっていない。



 リハビリテーションにおいては、「クライアントの予後受容」が鍵概念だと考えていたので、その後しばらくはこの言葉にこだわった。「そのために、自分にできることとは何か」、答えを見つけたかった。しかし、多くの回り道をしてようやく辿り着いたのは「予後受容は、そう簡単にできるものではない」という結論だった。徒労感もあるが、それまでに出会った多くの方々から私は「受容などと、そんなことは理論通りにできるものではない」ということを学んできたので、今のところはこのあたりで足踏みをしている。一方で、「どのようにして彼女はあのように振舞い続けられたのか」、という問いは消えていない。これを考え続けることが私の生涯の課題、と位置付けているのだが。





 ともあれ、ロスの晩年のエピソードは、私にはむしろ人としての自然な反応、と思えた。田口ランディは、『死生学』[]「エリザベス・キューブラ・ロス」(東京大学出版)でこう書いている。



「脳卒中で倒れる前のロスは、そのカリスマ性により<ある種の神聖さ>を醸し出していたという。多くの人は、ロスが死ぬまで神聖であり続けると信じていた。でも違ったのだ。ロスは人々の聖女であり続けることから降りてしまった。神聖なイメージをかなぐり捨て、自分の惨めさを露呈し、毒舌で神を批判する意固地な老女としておよそ9年間を生きて死んだのだった」。



 ロスは、長い間身にまとっていた「聖女」のイメージを捨て、その仮面(ペルソナ)の下の生身の自分をさらけ出すことで、自分自身を取り戻したのかもしれない。心理学的に「ペルソナ」とは、社会に適応する為に身に付けた表面的なパーソナリティのことを指す。人は、職場での役職、家庭での立場など、状況に応じた役割を果たすが、ペルソナとして選択されなかったものは、無意識へと抑圧されている。光(ペルソナ)が強ければ強いほど、その影(抑圧された自己)もまた深くなる。影は影のままで生涯を閉じることはできない。そのため、危機的状況においては、無意識の(抑圧された)自己がペルソナと対立することもある。ロスの晩年のエピソードをこのように解釈すると、理解が進む。





 終末期に、ある方がこう言った。「私は、自堕落な生活だけは・・・・・・・、したくない、と思っています」。私は、この沈黙の中に言葉にならない様々な思いが込められているような気がして、「今まで、散々真面目にやってこられたのだから、てっきり『自堕落な生活がしたい!』と言うのか、と思いましたよ」と言った。それを聞いたその方は、一瞬「言い当てられた」という表情をし、それから二人で大きな声で笑った。「自分で身にまとったペルソナでも、それだけでは息苦しい」ことを教えてくれた一場面だった。



 ロスの晩年の生き様は、「聖女」を装い続けることの何倍も多くのことを語ってくれた。これを、「脳卒中の発症により、感情のコントロールがきかなくなった」哀れなロス、と解釈することも可能だが。



「死の受容過程」で世界中に名を轟かせたロスにして、これほどの栄光と挫折を味わう。改めて、晩年を生き抜くことのハードルの高さと孤独、を思う。そして再び、「私たちにできることは何か」を考える。あの時の若いクライアントが教えてくれた多くのことを、私はまだ理解できていない。


2011年9月10日土曜日

「情報の取捨選択を促す質問のスキル」


 
「百聞は一見にしかず」とは「人の話を何回も聞くよりも、自分の目で確かめるほうがよく分かるということ」だが、見方を変えるとこれは、「一目見ることには単に聞くだけの百倍以上の情報量がある」ということでもある。



ふと、これを臨床実習と座学に例えてみた。ことわざどおりに単純に計算すると、臨床実習8週間(正味40日)で、学内学習の4000日分以上の情報を得ることになる。情報量という切り口から見るだけでも、臨床実習がいかに大変な課題であるか、という実感に重みが増す。実習で経験したことが真に血肉化するには、それだけの時間が必要だ、ということでもある。



ちなみに、座学としての私たちの専門領域の学習量は、創成期の3倍にも及ぶのだそうだ。例えが適切ではないかもしれないが、頭の中に、リニューアルのたびに分厚くなっていく家電製品のマニュアル本が浮かんだ。手に取った途端、その厚さと重さに読む気が失せる。それでも、専門領域ではこれを一通りはマスターしなければならない。マニュアル本なら配置やフォントなどを工夫することによって、優先順位の高いものや、最初に知らなければならないことが強調されているが、翻って、専門教育分野ではこの圧倒的な情報量を、誰がどのように取捨選別して学習者(学生)に伝えているのだろう。もちろん、教師はそのために存在しているのだが、幾多の制約の中で試行錯誤している業務を知るにつけ、この情報の取捨選択はかなりハードルの高い課題だろう、と思ってしまう。



話を臨床実習に戻す。座学の情報量がどんどん増えているが、それに輪をかけるように現場で求められる情報もまた増え続けている(だからこそ、座学のマニュアルが厚くなるのでしょうが)。私たちは、後輩育成への熱意をベースに一生懸命学生の不足を補おう、与えよう、としてきたが、正直なところこの方法にもそろそろ限界を感じている。卒前の臨床教育では、習得すべきゴールの的を絞り、ゴールへの道筋を学習者がイメージできるほどに具体化する必要がある。しかもこれは膨大な情報を目の前にして、学習者一人ではなかなか困難な作業である。



例えば、学生が「見学させてください」という。半日、見学をしながら熱心にメモを取っているが、後で「何を見たのか」を質問すると、3つ以上答えられる学生は、まれである。ここでは、「見学する」ことそのものが目的化しているからだ。さらに、目の前の膨大な情報の中から、「何を」見て学ぶか(見学)についての意識化がされていない。このような場合、見学の後にノートにまとめてきたものを見てから、改めて書かれてあることについて云々するのではなく、道しるべを作るために予めいくつかの質問をしておくと効果的である。(※SV:実習指導者、PT:理学療法士、OT:作業療法士)



PT学生「今日の午前中、OTの見学をさせてください」。

SV「分かりました。では、見学に入る前に、この見学の目的を明確にしましょう」。

PT学生「?」

SV「あなたは、この見学を通してどんなことを知りたいのですか?」。

PT学生「・・・・・OTがどんなことをしているかを、見てみたいです」。

SV「そこをもう少し、具体的に話してもらえますか」。

PT学生「OTPTの違いを・・・・」。

SV「違いを知りたい?それから?」。

PT学生「患者さんの反応が、PTの時とOTの時で同じかどうか確認したいです」。

SV「それはいい視点ですね。それから?」。

PT学生「OTが何のために折り紙を使うのか、を教えてもらいたいです」。

SV「では、折り紙を使っているOTに、直接その目的を質問してください。それから?」。



 このくらい目的を具体化すると、見学に対する学生のモーティベーションが格段に高くなる。さらに、この文脈では学生が自らOTに質問をすることまで設定されている。



 SV:「では、この3時間の見学の目的は、①一人の患者さんが、PTOTの場面で同じ反応をするかどうか、と②OTがどんな目的で、どのように折り紙を使うのか、を明確にするため、ということで宜しいですか?」。

PT学生:「はい」。

SV:「それでは、よろしくお願いします」。

PT学生:「はい、お願いします」。



 限られた時間で、見学の効果を最大化するには、これくらい目的と方法を具体化(チャンクダウン)するほうが、学生の行動が促進される。



 「百聞は一見にしかず」。一目見ることから伝わる情報量は計り知れない。しかし、目の前の膨大な情報の中から何かをつかむには、見る者の中に予めアンテナが張られていなければならない。その準備性を整えるためにも、事前の質問のスキルが機能する。これは、個々の学生のレベルに合わせて調整が可能な、SVにとっては役に立つコーチングスキルです。



2011年9月4日日曜日

 「私なんかより、ずっとずっと死から遠い所にいる先生でした」

 
この言葉は、15年以上も前に患者さんから聞いた言葉です。その時の静かな口調と状況を、今でも鮮明に覚えています。たぶん私にとっては、これからも忘れられない(忘れてはいけない)シーンです。



 その時の状況を少しお話します。



 インフォームド・コンセントが臨床の場で日常化し始めたころのこと。軽い脳梗塞患者だったその人は、発症直後の換語困難も改善し、OTの時間に色々なお話をしてくれました。短期間の入院が終わった退院前日、「実は昨夜下血をしまして、退院できるかどうか微妙な状態です」、と教えてくれました。結局、翌日予定通り退院はしたものの、1週間で下血の精査目的のため再入院。その時は、ご本人の希望を聞き入れる形でリハのオーダーが出され、主治医からは大腸癌の診断名と共に「オーバーワークに留意」するよう、指示を受けました。



 1週間ぶりにお会いしたその人は、わずかの期間でとても憔悴していました。予後は不良と予測されています。告知を受けているわけではないのですが、この人は遠からず訪れる「死」を意識している、そう感じました。そんな中でのOTの時間を、担当者である私は、その人にとって過去を振り返り、これから残された時間をどのように過ごすか、を共に考えるために使おう、と決めました。



 再開から数日が過ぎたころ、こんなお話を伺いました。



「私は戦争に行きました。何時も死を覚悟していた。だから、死ぬ事は怖くないんです。戦友が死んだ時、火葬にします。敵に荒らされないように一晩中見張っている。360度視界を遮るものがない。どこからいつ、敵に攻められるかとあの時は、怖かったですね。死ぬのは怖くないけれど、死ぬまでの間、痛かったり苦しんだりするのは、いやですね」。



 (この人は、自分の予後を知っている)私はそう確信しました。そこで思わず、<病気のこと、主治医の先生は何とおっしゃっていますか?>と尋ねたのです。



すると「この病気で死ぬこともある、と」。

この応答の様子からは、主治医の余裕のない伝え方が伺われました。



<お幾つくらいの先生でした?>



「私なんかより、ずっとずっと死から遠い所にいる先生でした」。



いつも穏やかなその人の口調が、ほんの少しだけ違っていました。この告知の仕方に、とても傷ついたであろうことが伝わってきたのです。と同時に、慣れない告知をするために、自分の感情をコントロールしようとして、結果的に余裕のない伝え方になってしまった医師のインフォームド・コンセントの様子も目に浮かぶようでした。



あれからずっと、「伝え手の言動がどのようにクライアントに届いているのか、は実のところ分からないのだ」と思っています。告知のスキルは、格段にレベルアップしています。医師は丁寧に時間をかけて、共感と傾聴のスキルを駆使していますし、あの頃のような、「乱暴な伝え方」とクライアントが感じるような場面もずい分減ったことでしょう。それでも、「伝えたから」「伝わったはず」なのではないことを、知っておく必要があります。特に「死」に関する告知を受けるとき、クライアントは伝え手を「私なんかより、ずっとずっと死から遠い所にいる人」と、感じているかもしれません。


2011年9月3日土曜日

「寝ていることに、疲れた・・・・」

 
「もうデーターも悪いし末期だから、リハビリテーションの関与は中止でいい」と言われている患者さんのところに、会いに行った。酸素マスクの下で寝息を立てている。恐らく起きないだろうが、試みにそっと名前を呼んでみた。1度、2度・・・・やはり目覚めない。このまま起こさずに、今日は立ち去ろう。出口に体を向けて23歩進んでから、確認のため振り返った。するとその人は、目を開けてこちらに視線を向け、何事かを話している。不明瞭で聞き取れない。耳を口元に近付けた。「・・・・・疲れた」。(えっ?)「寝ていることに、疲れた!」。二度目は、少し強い口調だった。



この人に告知はされていない。ただ、何カ月もベッドの上で天井を眺めながら自分の体と向き合っていれば、少しも良くならないどころかどんどん、悪化していることは当の本人が一番よく知っている。最初は、看護師の悪口を言っていた。それから、家族の気の利かなさを愚痴った。一人の時は、じっと遠くを見る目をしていた。手足には、リンパ液の滲出を防ぐために包帯が巻かれている。食事は止められ点滴で補液はしているが、舌は乾燥していた。時々痛みを訴えるが、疼痛コントロールは比較的良好だった。



今は癌性疼痛に対する治療が進歩し、セデーションをかけなくても、痛みに苛まれる様子を見かけることはあまりなくなった。それに、意識レベルが低下したまま亡くなる日まで会話が断たれる、ということもない。一方、意識が比較的クリアな状態で寝たきりのまま、毎日自分の「死」と向き合う時間が増えている。誰にも分からない、誰も経験したことのない孤独と向き合っている時間が長くなる。もし私がベッドに横たわっているなら、この状況をどのように受け止めるのだろう。



会話の中で、今日の日付を確認すると「あー、もう、そんな時期になったのか」というような反応をする。(入院して、何カ月がたちましたか?)「・・・・3か月・・・・」。(・・・・永いですね・・・・)目を閉じて頷く。嘆息しながら、目を閉じている。少しの沈黙の後で、また伺いますね、と言ったが応答があったのかどうか分からない。



「寝ていることに疲れた!」という言葉は、重い。「何のために生かされているのだ」と問われているような気がする。