・病室の外にまで響くSさんの声。訪室して声をかけると、Sさんは我に帰ったように視線を私に向けて話し始めた。「○○(息子の名)は、どこに行ったんだ?」(さっき、エレベーターの中でお会いしましたよ)。「どこへ、行ったんだ?」(お買い物に行ったみたいです)。「何を買いに行ったんだ?」(何を買いに行ったんでしょうね)。「しょうがないなぁ、全く」。
・毎分5リットルも流れている酸素マスクが顎の下に落ちていた。自分で外したらしい。酸素飽和度が83%に低下している。ナースがモニターを見てやってきた。(マスクをつけましょうね)。「いらないよ」。(そう言わずに、今だけでも・・・・)そう言いながら、酸素マスクをセットし直す。少しずつ数値が上がってきた。酸素飽和度96%。マスクの下で、文脈のつながらない話が続く。できるだけ聴いていることが伝わるように、相槌を打つ。
・(もうすぐ、お食事ですよ)。「いらないよ」。何カ月も全量摂取だったのに、ここ数日は2~3口で、食事を終えているようだ。家族はその数口の食事を介助するために、毎日来院している。
・(今日の調子はどうでしょう?いつものマッサージをしてもよろしいですか?)「あぁ、お願いします」。四肢の浮腫は、日替わりで増悪と軽減を繰り返している。ソフトタッチのマッサージは、リンパを流すためのもの、というよりは「どうしたら死ねるか、とそればかりを考えていて」気持ちが落ち着かないSさんに、静かな寝息を立ててもらうためのものだった。ほどなくSさんは、かすかな寝息を立てはじめた。
・「お世話になります」と言いながら、息子さんが病室に入ってきた。(息子さんが来ましたよ)。Sさんは目を開け「どこに行っていたんだ」と、話しかける。息子さんは、Sさんに残された時間が「日」単位であることを感じているようだった。静かな会話が流れる。Sさんの声のトーンは、ずい分落ち着いた。
・こんな時、病室で一人にされることの不安や寂しさは、私たちの想像の域をはるかに超えているのだろう。それまで培われた関係性を基盤にして、その場にいることが必要とされる場面である。実際に必要とされているかどうかの判断は難しいところだが、私の場合、自分が病室を後にする時に判断している。クライアントやご家族が、私の次の訪室を期待して「ありがとうございました」と、言ってくれるかどうか、である。